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今日のあなたの行動は、過去の曖昧な記憶で制限されているかも。

わが家には25年前に結婚したときに一緒に実家を出て、その後、何回か引っ越しをするときも私と共に一緒に家を転々とし、そしていま住んでいる家でも、納戸の一番奥にしまわれている段ボールがあります。

それは、私の思い出の品がギュウギュウに押し込まれた段ボールです。

でもそれらは、決して“大事にしたい”から取っておいたのではなく、むしろ“見たくないもの”として、封印していたものです。

でも禁断のこの箱を開けた時、「生きているときにやっておいてよかった!」と思えるほど、幼い頃の自分を愛おしいと思えた話を今日は書きたいと思います。



幼い頃の私は思い出したくもない存在。


私は、自分の過去を思い出すのがとても嫌いです。

小・中学生時代、高校時代、大学〜新卒時代。どの時代の自分も、「生意気で、失礼で、そのくせ浅はかで未熟な存在」として記憶に残っているから。つまり、私はとても“自己肯定感が低い”とも言えるかもしれません。

何かの拍子に過去の記憶がふと思い出されると、恥ずかしさで「あーーーーー!」と叫びたくなります。

だから開かずの段ボールは私にとっては、見たくもない、捨てることすら避けてきたものなのです。


いよいよ禁断の段ボールに向き合う時が。

その段ボール。いよいよ向き合わねばならぬ状況になりました。それは引っ越しです。想定外の事情で、来年引っ越すことが決まったのです。

新居の間取りは、いまの家よりもかなり手狭であること。それから今年50歳を迎えたのもあって、今後の人生は持ち物をミニマムにしてシンプルにしたいという思いがあるので、これを機にかなり物を減らそうと思っています。

そんな中、いよいよ例の思い出ボックスに向き合わねばならなくなりました。いっそ中身を見ずに、一気に捨てることもできるのに、何でも(特に情報や記録)は取っておきたくなる収集心気質が高いので、一つ一つ手に取っては、必要なものをスキャンする・・・そんなことを連日やってます。

・子どもの頃、友だちと交換し合った日記
・クラスの友だちみんなに書いてもらったサイン帳
・わら半紙で刷られた文集
・小学校6年間の通知表
・制服の胸バッチ
・転校するときにもらった色紙
・必死に集めたアイドル雑誌の切り抜き
・スイミングスクールの会員証・・・

ありとあらゆる思い出の品が段ボールがあとからあとから、出てきます。

小学校2年生の頃の日記
しゅくだいがとにかく嫌だったみたい(汗)

思い出の品々の中の私はキラキラしてた

連日、その段ボールから出てくる品々に向き合っていると、ある心境の変化に気づきました。

小さい頃の自分が愛おしいのです。

お友達と遊び、ピアノやスイミングに通い、「勉強がいやだ」と日記に残し、弟とケンカをし、先生や母親から怒られ、中学生になると好きな歌手(CCB、TMネットワーク。スキだったなー)や野球選手(いまもG党!)の情報をチェックすることで頭がいっぱいな日々。思い出の品々の中の“チビさくらちゃん”はとてもキラキラしてました

「生意気で、失礼で、そのくせ浅はかで未熟な存在」だから恥ずかしくて思い出したくもなかった記憶の中の“チビさくらちゃん”。でも大人になり、母になった私から見たら、「子どもってそんなものだよね」と微笑ましいくらいだし、好奇心旺盛で、友だちと仲良しで、周りの人を気遣う優しさがあって、おしゃべり好きで、ノビノビしていて「むしろ良き!可愛いじゃん!」って思えるほど。

こんな風に、目を背けてた小さい頃の自分に向き合って、「いい子、いい子」って頭をヨシヨシしてあげるように、思い出の品一つ一つに向き合うことを最近は毎日やっています。

幼稚園の頃の手形。これはどうしても捨てられなかった。

“過去の私”の捉え方は“いまの私”に影響してる

過去の自分が嫌いな状態は、きっと大人になったいまの潜在意識的なものに作用して、選択する行動に影響があるような気がします。

  • またあの時のような失敗はしたくない

  • あの時みたいに恥ずかしい記憶をこれ以上増やしたくない

  • こんな経験しかない私だから、今回もダメだと思う

私はこんな風に自分の過去を捉えて、「どうせ」とか「きっとまた」のような言葉で無意識の内に自分の枠を作っちゃってた気がします。

でもきちんと過去と向き合って、記憶に頼らず、記録を読んだら「またあの時みたいに」「こんな経験しか」と思っていた「あの時」も「こんな経験」も、そんなに悪いものじゃなかった。むしろ「いいじゃん!」って思えるものだったんです。


ものの見方の偏り、思い込みを取っ払うって大事。

皆さんはいかがでしょうか?
過去のあいまいな記憶にいまの行動が制限されていることはないでしょうか?

私が「自分の過去」の捉え直しをすることで、自分を制限している枠に気づけたように、もしかしたらあなたの選択する行動も自分の思い込みや、事実とは違うものの見方で作られた枠に、制限されているかもしれません。

今回の経験で、

「それって本当かな?」
「偏った見方していない?」
「なにか思い込みで判断してない?」

そんな視点を持って、過去のあいまいな記憶によって行動が制限されていないかを視野に入れ、気づきを促し、クライアントの選択する行動の幅がぐーんと広がるようなセッションを提供していきたい、と改めて背筋が伸びました。

生きているうちに、自分の中の“チビさくらちゃん”と向き合って、頭をヨシヨシしてあげるような作業をできてよかったです。きっとこの作業を終えたときには、もっと軽やかに自分の人生を選択できている気がするから。

今日も読んでくださってありがとうございました。
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\この記事を書いたのは/
大切なものを大切にできる毎日を
ライフコーチ しいはしさくら




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しいはしさくら | ライフコーチ
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