部長について
今日は少しだけ、部長という仕事を振り返ってみようと思います。
私が部長に惹かれたのは初等学校で入部した合唱部で幼馴染が部長をやっているのを見たからです。
小学1.2年生の時は仲間外れにされたり、嫌なあだ名(今は大好き)で呼ばれて、成績も悪く鈍臭かったけど、目立ちたがり願望が強く(笑)6年生で立候補して就任しました。
実際は下級生にも同級生にも指示を聞いてもらえず、ナメられる始末。毎年出場し、東京都1位は当たり前だったNHKコンクールは大敗。周りは「成長したね」と褒めてくれたけど全然達成感はありませんでした。引退前最後の合唱発表会も泣かず、私の中で完全に「負」の思い出でした。
大学で新しい環境に飛び込み、オーケストラという私にぴったりな部活動に入ると部長という職を「自分にとって最初で最後のリベンジ」だと思うようになりました。どうすれば周りの人が付いて来てくれるのか、後輩にナメられないか、周りに敵を増やさないか、これまでの経験を絶対に活かせると信じてました。
実際は全然、違いました(笑)
まとめられない。意見は分裂し、意見を聞けない。堪えるものがあります。任期中はストレスで自律神経が崩れかけ、立てなくなるようなめまい・貧血・耳鳴りが続き、仕事中や移動中に何度も「あやばい、倒れる」と思いました、耐えたけど。
何故私が注意され、怒られるんだ?何で私が謝るんだ?自分の仕事は謝ることか?部長になりたての春に自己肯定感爆下げ期に陥り、誰にも会いたくないけど明日も朝コマから練習がある、体はだるいけど足が赴く、機嫌が悪いけど顔には出せない、もっと機嫌が悪くなる、そんな負の連鎖も経験しました。
辛かったけど、すごく楽しかったこともありました。色々な人にご飯をご馳走になったり(笑)、憧れ続けた舞台や裏方の仕事を沢山見て、関わることが出来たこと、誰よりも部員と先生と関わって喋れたこと。何より、4年間で一番笑ったこと。
すごいと思ったのは、みんなが朝早くから集まって運搬や練習に参加し、練習後も夜遅くまで協力してくれること。みんなの「やりたい」という意思でオーケストラの音楽が成立していることです。
そして、私はこれにとても支えられました。みんなが「やりたい」と思い続けてくれている限り、私の仕事や苦労に意味がある。怒られても、悪口言われても上等。部員がオケライフを楽しめていれば、そこに意味がある。
「部長」をやる理由は自分のキャリアのためじゃない。部員のため、未来のオケのためにあるのだと分かりました。これは私にとって大きな発見でした。
コンクールで全国一位を取ること、演奏会で1,500人以上集客すること、みんなから100%の支持を得て、物事を仕切ることが正しい訳じゃない、それを10年かけてようやく理解しました。遅いけど、大きな学びでした。
あと余り言ってなかったことがあります。
オケでの4年間、特に部長としての1年間私は本当に家族に支えられました。
家族は私の帰りを必ず待ち、夕飯食べると言えば、どんなに遅くなっても出してくれました。私が部員の前では話せないような悩みや本音は全て親にぶちまけてました。親が文春にタレコミを入れないかだけが心配です。(大嘘) 私の考えに理解を示し、時には修正し、時には流してくれました。部長をやる上で家族の理解とサポートがあった事はとても心強かったです。ありがとう!
ここに書き出せば止まりません。同期、後輩、先輩、先生方、私のような爆走人間を受け入れてくれて本当にありがとうございます。
一つだけ、最後に言わせて頂きます。
二度と部長なんてやりません!くそくらえ!
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