更級日記
タイトルを考えて更級日記と浮かんだ時、同じタイトルの文章なんてごまんとあるだろうと思って苦笑いを浮かべつつ調べたわけだが、驚くほどなかった。
たいそうな文学の名前を自分の走り書きにつけるなんてばからしいこと、おおよそ誰も思わないのだろうか。
「あなたは更級日記の少女なのね。もう、何を言っても仕方が無い。」
私は更級日記の少女なのだろうか。いやそうでなかったとしても。
人は矛盾をたくさん抱えているものだろうか。
私はその矛盾が極端なことが多い。
その極端な矛盾に陥って、自分に憤って、考えることを放棄することもまた多い。
だからものを綴るというこの試みだっていつ終わりにするかわからない。
時間がたんまり手に入った時、最初は暇つぶしにいわゆる図鑑系のSNSを始めてみようと考えた。
料理、ファッション、外食やカフェ、などなど。私は比較的こういった図鑑系の投稿と相性のいい行動をしている方だと思う。
ただいざ始めようとアカウントを作ると一切気力がわかなかった。
写真を撮ることも動画を回すこともしたが、いざ投稿を作ろうと思うと手が止まる。
どうしてだろう。SNS投稿をすることも苦手というよりむしろ好んできた。
考えた時、一つ結論にたどり着いた。
結局意見を言いたがりなわけだ。
図鑑系の発信に求められるものはあくまで客観的な意見であって誌的な文言など鬱陶しい。
ただ私はその誌的な文言の方を捨てられない類だ。
鬱陶しさ極まりない御託を数多並べて満足するのだと気づいた。
「自己顕示欲」というより「自己表現欲」。
そういえば昔付き合っていた人は、私が人前でピアノを弾いたりSNSに情緒的な言葉を綴ったりすることをキョウカンセイシュウチがとかどうとか言って嫌がっていた。
こちらからしたら大変失礼な話だ。
そもそも私はあなたの所有物でも付属物でもないだろうと思う一方、自分を表現するということ、それを他人がすることに抵抗を持つ人がいるということをありありと実感した。
だからこそ、どれだけ私に親しい人でも、そういう類の人に別に無理に読んでほしいとは思わない。
「私の伝えたいことを分かって」と言うつもりも「私に共感して」と言うつもりもない。そもそも私は人に対する共感能力には自信がないから人にそんなことを要求するなんて烏滸がましいことこの上ない。それでいて人の目に触れる場所に残すのだからそういう気持ちもあるのだろうけど。
いずれにせよ徒然なく思ったことを書き連ねるに過ぎない。
じゃあ徒然草の方がタイトルとしてよかっただろうか、いや更級日記でいいや。
太宰の斜陽の中で、「更級日記の少女」のくだりが前後どのような文脈であったか関係なく、私は友人が私に教えてくれたこの台詞をなんとなく気に入っている。