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Vol.2 とある駐妻が『自分』を見つけるハナシ

前回の話はこちら

私の好きなものってなんだっけ?


まず最初に、この状態になった理由を考えました。

子どもが赤ちゃんの頃

子育てをしていると、やっぱり子どもの優先度が非常に高くなります。
特に乳幼児期。ある程度は仕方ないけどね。

例えば、食べ物を一つとっても、

子どもが食べれるもの > 自分が食べたいもの

取り分けするのが前提。
(私の場合は、出来れば楽したいから人は別のものを作る。とかは出来ない性格です)

予定を決める時も、

夫は、自分の都合で予定を決める
私は、夫の空いている日を確認してから予定を入れる(子どもを見てもらう必要があるから)

そもそも、2人の子どもなのにおかしいよね。と思うけど、当時から専業主婦だった私はあまり疑問に感じていませんでした。

私は結婚を気に、他県に引っ越したから近くに友人も居なかった。
私の予定は美容院以外に特になかったのも一因かも。

そういう小さな積み重ねで、もともと低かった自己肯定感はさらに下がり、わたし自身の価値が分からなくなっていました。

それに気付かないまま…
(気付いていたけど見えないフリをしながら...かな)

子どもたちが大きくなってきて、自分のこの先のことを考えた時に

母親じゃない自分は、一体何者なのか。


自分は何も出来ない人間で、
秀でるものは何もない。

そう思ったとき、私は30代もそこそこになって、そもそも自分について深く考えたことがなかったことに気づきました。


ちょうどそんな時期。
「アナタの好きなものは何?」
という問いに答えられなかった。

その理由は、

「自分のことが分からないから」

自分の人生なのに、変な話だけど。
でも、本当の話。


そこから、

なぜ私は自己肯定感が低いのか。


この部分をさらに深掘りをしました。
(自分と向き合うのしんどいけどね…)

私の家は、簡単に言うと

「親の言う事を聞いておけば良いよ」



という家庭でした。

今思い返せば、自分の意志で「これをしたい」と選択することは少なかったように思います。

そして私は、人の顔色を伺い、「こうしたら大人は喜ぶ」ということが分かる子どもでした。

モンテッソーリの観点から見てみると、
「自己決定力」は「自己肯定感」に繋がっていきます。
幼少期に、ここが欠けていたんだと感じています。
やはり、幼い頃から、日常の小さなことでも「自分で選ぶこと」は大切にしていきたいですね。

自分が育ってきた環境とは、違う子育てをする。


自己肯定感も自信もない自分が好きではない私は、子どもが生まれてからモンテッソーリ教育を勉強し、子育ての本をたくさん読み、声かけにも気をつけ、環境作りにも力を入れました。

そして、

「嬉しい時も悲しい時も、笑ってても泣いてても怒ってても、いつでも、どんなあなたも大好きだよ」

というのを、子供たちが生まれてからずっと伝えています。

そして、

好きなことは好きって言っていい。
嫌なことは嫌。でいい。


ということも。
当たり前のことだけど、自分の人生を生きていくうえで一番大切なことだと思っています。


前置きが長くなり過ぎてしまいましたが、
駐在妻としての生活が始まる頃、
そんな私が「自分を知るための行動」を始めました。


次回は、私が実際に行動したこと。を書いていきます✍️


余談ですが、
親との向き合い方について考えた時期に読んだ本。

幡野さんの言葉の紡ぎ方がすごく好きです。