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他人のために生きるのか、自分のために生きるのか
19歳、今から6年前、宮崎の町のはずれにある小さなバーで働き始めた私にあるお客さんが尋ねた質問だ。お客さんの名前は高橋さんという。その白髪になんとも優し気な笑い皺のある常連さんは宮崎のある大きな会社の副社長さんだった。
「日和ちゃん、人は他人のために生きると思う?自分のために生きると思う?」
その日は火曜日でお店が開いてすぐの時間帯だったから、他にお客さんはいなかった。L字型のカウンターに席は7席、1日につき日替わりで1人スタッフが入るお店だった。当時から高橋さんとお話しする時間が大好きだった。「宇宙人っていると思う?」「優しい人ってどんな人?」そんな突拍子もない話や形のない話を真面目に話す時間だった。
「うーん、、」と頭をひねらせる。腕時計のカチカチという音と焼酎グラスに入った氷の音だけがお店に響く。お店のオレンジのライトに照らされて、お客さんも柔和に笑っていて、ほんわかとしたなんとも温かい空気が流れる。高校を卒業して、大学に入学したての私がなんとなく口にした答えはこれだった。
「他人のために生きたい、て思うけれどそれは自分の偽善のような、エゴのような気もします。でもわたしは他人のために生きたいです。」
高橋さんは笑った。
「そうだね、僕もね、やっぱり他人のために生きていたいと思うんだ。それができているかどうかはわからないけどね、周りの人が幸せであるようにと思うほうが僕は落ち着くんだ。」
それは私のための問いだったのか、高橋さんの自分自身への問いだったのか、わからない。コロナ前のみなが仕事終わりにお決まりのようにワイワイと飲みに出ていた時分の会話だったから、小さな世間話のひとつのような軽やかさで話題は流れていった。
その年の終わりから新型コロナウイルスが流行し始めた。不要不急の外出は禁じられ、飲食店の営業も不要不急とされ、お客さんはめっきり現れなくなった。高橋さんもお店に来られなくなった。高橋さんの会社はコロナで経営状態が悪化した。そんな中で彼は社長になった。新聞やニュースで彼の会社の様子を見聞きした。いろいろな方面から非難を受けることもあったろう、高橋さんは矢面に立って、いつもの仏さまのようなほほえみではなく、戦う目をしていた。ある日、高橋さんに連絡をした。
「お元気ですか?テレビやニュースで見ています。優しい高橋さんなので、他人のためにと気を使いすぎていないかが心配です。」
高橋さんは言った。
「今は踏ん張らなければならないときなんだよ。どんなに経営状態が悪くなっても、給料がどんなに低くなっても、僕は絶対に社員の首を切らない。みんなで辛抱するときなんだ。僕は社員の暮らしを守らなくちゃならない。だから、つらい時にも「まず、にっこり」で前を向いています。僕はそれで幸せです。」
「まず、にっこり」は高橋さんがよく口にされる言葉だった。つらい時、落ち込んだ時、うまくいかない時、どんな時でも鏡に向かって「まず、にっこり」だよとよく言われていた。こんなに絶体絶命の状態にあっても彼は変わらなかった。
さて、昨日、ふとした時に別のお客さんと同じ会話をすることになった。今働いているのは創業30年を超えるこれまた小さな町はずれの居酒屋さんで80歳になる漁師のマスターと70代の勝気で真面目なママさんが営むお店だ。そこに来る常連さんの洋子さんは80代を超えているが、まだ現役でパーマ屋さんとして働いている。何十年も前から町でも有名な酒飲みの洋子さんだが、毎朝往復4キロ以上の道のりを歩いて仕事場に行き、さびた剪定鋏をもってきれいな草花を切ってお店の花瓶に生けることを日課にしている。居酒屋ではどんなお客さんが隣に座っても、同じ調子でお茶目に面白おかしく話を盛り上げるけれどどことなく坂本冬美さんのような可憐な印象も持たせる、まさにスナックのママさんのような風格をしている。
「日和ちゃん、他人のために生きるんじゃないよ、他人が幸せなことが自分の幸せなんだから、結局自分のためだと思ったほうがいいよ。」
洋子さんは静かに言った。
他人のために生きたいと思いつつも違和感を感じていたあの20歳ごろからいろいろなことがあった。誰かのためにと思い、自分の気持ちをないがしろにすると、結局中途半端にさじを投げてしまい、他人を裏切ることになることも知った。誰かのために、と思って何かをすると、すべての行動が他人ありきになってしまって周りの感情に振り回されたり、悪く言うと利用されてしまったりすることも知った。自分の心のコップからあふれた水でしか他の人ののどを潤すことはできないのだ。他人に優しくあるためには、まず自分が満たされていることが大切なのだと知った。それは必ずしも贅沢をすることではなく、目の前の人が幸せになるよう何かをする、ということに自分が幸せを感じられるようになるということだ。それで相手が本当に幸せになるかどうかは相手の問題で私の知ったこっちゃない。
25歳になったわたしが、しっくりくる、落ち着く答えは洋子さんのそれと同じだ。他人が喜んでくれるように幸せであるようにと思い生きることが、私の歓びで幸せだ。
高橋さんにもしまた逢えたら、そう言えるだろうか。また笑って僕もそう思うよと言ってくれるだろうか。