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noteに舞い戻ったらInstagramに費やす時間が劇的に減った話。

最近ちょこちょこnoteを書くようになった。
(もちろん読むようにもなった)

もちろんnoteもSNSだとおもうし、
どっぷり入り浸るのはよくないかもしれない。

でも、Instagramをひたすらスクロールし続けるよりも、
圧倒的に情報の質がいいと感じるし、
みたくないものを見ない選択を取りやすい。

noteでは、タイトルで読むかどうかを判断し、
実際読みながら違ったら離脱することができる。

しかInstagramだとそうはいかない。
ひとつひとつのコンテンツが短く、
写真一枚に全てが収められていて
否が応でも、ひと目見るだけで多くの情報が飛び込んでくる。

本当は見たくない内容でも見てしまうし、一瞬で脳は理解する。

さらに、なにかに取り憑かれたかのように永遠に見続けてしまう。
もっと欲しい、もっと欲しい、もっと見たい、気になる。。。

私たちは、アルコール中毒や、カフェイン中毒のように
もしくは、ギャンブル依存症のように
情報中毒・情報依存症にかかっているとおもう。

noteも全てが正しい記事とは限らないしが、
筆者それぞれが、飾らない、見栄を張らない
「自分の意見」を語っている感じがしてすき。

Instagramでは、だいたいみんなきらきらの一瞬を切り取って投稿しているが
noteでは、自分の中のもやもやも、きらきらも、すべて言葉にすることで
リアルが描かれている感じがある。
ん〜〜うまく言葉にできなくてもどかしい。笑

それから、noteを書くようになって
思考を言語化し、垂れ流すことで、めちゃくちゃデトックスになっている。

Instagramでどんなに幸せ自慢をしても、
twitter(あ、Xか)でどんなに愚痴を呟いても
得られない脳がスッキリする感覚がnoteにはある。

よけいな情報が入ってこない上に、自分と向き合う時間を作れるからかもしれない。

あまり過去の記事を読み返すことはしないし、
書きっぱなしになっているけど
書くことで吐き出すことで
それだけで自分の人生にとても意味のあることになっていると思う。
今の所。

比較するのが下手で、分析することも苦手やけど
こうやって書いて書いて、ただ書き連ねてるだけで
なんとなく思考が整理されていく感じがする。

上に戻って書き直したりしないぜ。

だれかに読んでもらうために書いてない
自分はそんなフェーズにまだいない

まずはデトックス。

それを誰かが読んで、共感したり、救われたり
逆に腹を立たせることもあるかもしれないけど
そうやってよんだ誰かの感情を少しでも動かしていたら
おもしろいなって思う。

何が言いたいか今日も私の文章はめちゃくちゃやけど
ここまで読んでくれてありがとう。

今日もすっきり!

※サムネは台湾で一番おいしかったチャーハン

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