それでも ぐるぐるかさなる日々とわたし
こわいなあと思っている。
誰かに何か言われたり、嫌われるたりすることよりも、自分で自分にガッカリしたり、'こんなんだからアカンねんな'と思ってしまうことがこわい。
以前、私はかっこわるい自分を封印したらなかったことにできると思ったのか、まあまあコテンパに自分で自分をやっつけて封をしてしまった。封というより、何もかも壊してさら地にしたって感じ(あくまでイメージです)
そこから立ちあがるのに本当に時間がかかった。
なので、こんな思いも時間ももうほんまに勘弁してくださいと心の底から今は思っている。
だから、たぶん最後のその壁(どの壁だ?失敗するかもしれない壁だね)を超えるのがこわいっていうか、越えようとしていない。なぜなら壁を超えようとしたら失敗する可能性があって、そうしたらまた自分で自分を攻めてしまう危険性があるから。
でも、「それじゃあツマンナイんだよなー」、なんのかわりばえもない景色(自分)に飽き飽きして、壁をとっぱらって、外に飛び出したいと思っているもうひとりの自分もいる。
冬眠から目覚めた熊のように、少しずつ起きて行動に移すようになったけども、いま、たぶん壁の前を行ったり来たりしている私(熊?!)もいる。
似たような状況や環境になると、失敗パターンがよぎるから、ビビる。
目の前にあるのは、以前と全く違うコト、モノ、ヒトだったりするのに、'またそうなる!(ネガティブ)'と私の中のどこかが過敏に察知して縮こまったり、咄嗟に守ろうと身構え、隠れようとしてしまう。
それは即ち、目が曇る。そのコト、モノ、ヒトに対して、私に失敗させようとしに来た!(と、そのコト、モノ、ヒトのせいにする)とか訳の分からないフィルターをかけてしまって相手や対象が全然見えてない。見てない。そのコト、モノ、ヒトに対して見たいように見てわかったような気になっている。
しかも無意識に思い込んでるから困ったもんだ。
もうひとつ、確かにあの時はうまくいかなかったけども、あそこまで自分で自分を攻めることはなかったよなと今は思う。
でも同時に、あの時の私はそうすることしかできなかったんだよなとも思う。消えてなくなりたいくらい、すごく疲れてもいたから、本当に消してしまおうという勢いで、ひたすら無になりたいと思っていた。(本当の無とはやや違う無)
もう何年も何年もたったけど、あの頃、自分でつけた傷が今頃になって疼くことに動揺した。
もうとっくに治っていると思っていた。
ひょんなことが刺激となり、出来事に反応する。
そのひょんなことが起きた時も、ただ反応してしまってる自分に気付くこともできなくて、感情が先走った言動をしてしまった…相手には意味がわからなかったと思う。
ほどなくして、あれがここに繋がってるかもと気付いて、傷の根深さに驚きうなだれた。あの人がわるいわけではなかったのか…ということは嬉しくもあるけど、感情に任せて投げてしまった言葉は戻らない。後悔している。
封じ込めてきた(むしろ、もうないと思い込んでいた)モノがわらわらと出てきた時は本当にマイッタけど、その人のおかげで、もう一度対峙するチャンスを得た。
つまり、なかったことにした壁と向き合い、超えるチャンス。壁がない(壁を認識しないと)と超える体験はできない。
最初は二度と経験したくないところにまたもやぶち当たってしまったと運の悪さを嘆いたけど、やっぱり私は壁を超えた先にみえる景色が見たい。
まだビビっているところがあるけど、
超えたいと思っている私を知れたのは大きな大きな発見で喜びだった。
ああ、私はまだやれるし、やることがある。
それは本当にありがたいと素直に思っている。
そんな自分にまた出会えたこと、本当に本当に感謝している。その人がいなければ、今の私はいない。
ありがとうのひとだなぁ。
ちょっと迷惑かけちゃったから
ごめんなさいとセットのありがとうなのだ。
なにもかも嫌になって、何もしたくなくなって、本当に何もしなかった私が、
また何かしたいなと思えるようになったことが、ほんとうにうれしい。
何かをしても、しなくても年齢はちゃんと一年に1つずつバームクーヘンのように年輪を重ねていくから、ついその数字のボリュームとともにいろんなことがじょうずにできるようになっている、それがオトナになることだと思い込んでいたけど、
何もしなかった分は、成長もしてないし、誰かがやってくれるというものではないから、結局匙を投げたところで止まってて、そこからまた始めるということに気付いた時もひっくり返りそうになった。こんなとこから始めるなんて恥ずかしすぎる!と認めたくない気持ち。
でも、だからといって、ここすっ飛ばしても解決しないというか、ここでしか得られないものが私は欲しいし、自分の手で掴んでこそだということもわかる。このへんは少しオトナになって理解のスピードが増したかも?!まぁ、よくよく考えればすぐわかることで、そりゃサボってたのは私だもんな、世の中そんなに甘くないということだ。観念して、私の再スタート地点は、そこからであり、ここからであると改めてやっていこうと思っている。
まるで休学していた人生に復学して
卒業必要単位修得すべく、
年の離れた子たちにまぎれて、
壁に向かって通学しているみたいだなー。
なんかかっこわるいなと思ったこともあったけど、それもまたいいもんだなって、今は笑って言える自分がちょっと好きだったりする。
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