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『生きてることが辛いなら』に助けられた話



ある日、病院へと向かう母の車の中で、森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」が流れた。

「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばいい」


このフレーズはかなりインパクトがあり、ここだけ聞くと「何だこの歌は...!」と思ってしまいそうだ。

私自身も、歌い出ししか聞いたことがなかったため、勝手にひどい歌なのかと思い込んでいた。

しかし、最後まで聴いてみると、決して絶望の曲ではないことが分かる。

1番、2番と進んでいくうちに、かすかな希望と感動が胸を振るわす。

気が付くと私は泣いていた。

病気や仕事、人間関係など色々なことで悩み、「生きるって辛いなぁ」と疲弊していた心にストレートに響いて、染み渡った。

この詩に、この音楽に救われたと思った。

確かに、「いっそ小さく死ねばいい」といったようなストレートすぎる表現は賛否両論ありそうだし、世の中にはもっと優しい言葉や表現があるのかもしれない。

けれど、もし、作者が世間の目や批判を恐れて言葉をオブラートに包んでいたとしたら、誰かの心にこんなにもストレートに届く曲にはならなかったのかもしれないなと、ふと思った。

もし、作者がこの詩を「やっぱり辞めた」とゴミ箱に捨てていたら、もし担当者が「炎上するからボツ」としていたら...

この曲に出会って救われた多くの人の心に、希望を灯すことができなかった。

私のように、年や経験を重ねてからこの曲の良さが分かったり、救われる人に出会うこともなかった。

そう思うと、感謝が湧いてくる。

表現とは、時に傷付けることであるという言葉を聞いたことがある。

もちろん、あからさまに他者を侮辱したり傷付けるような表現や発信は許されない。

そうしたものを除いて、何かを表現・発信しようとするときに、

世界のどこかでは自分の表現をよく思わない人がいるかもしれない。

自分の正義や正論が、他者にとって良いものであるとは限らない。

しかし、他者からの評判や世間の目を怖がりすぎて自分が真に伝えたいことが伝えられないのはもったいないし、

万人受けを狙いすぎて個性を発揮できないのももったいないと思う。


色々悩んだ時は、
たった一人にでも刺さるものを。

そうして作ったものが、きっと巡り巡って誰かの心を掴み、誰かの心を救うのだと思う。

桜の絨毯。寒い冬のあとには、必ず春が来ます。

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