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誰がために

昔の人に比べ、現代人の処理する情報量は膨大だといいます。
一説には江戸時代の人たちが一年で得る情報量を、現代の人は一日で得てそれを処理しているのだとか。


行動範囲もそうだ。
江戸時代の人たちが生涯に移動した距離は、平均すると最大でもせいぜい10kmなんだそうです。
新幹線に乗れば2分程度で着く距離です。


すごく便利で快適な世の中。
情報を得るツールは様々あり、黙っていてもそれらが目から、耳から飛び込んでくる。
しかも今は、必要なものを必要なだけ取捨選択して得ることができるし、なんなら「AI」が過去の検索ワードや購入履歴などをもとに、「あなたへのおすすめ」といって自分に興味のありそうな情報を選別して提供してくれる。


移動手段の車にしても、電車や飛行機などの乗り物にしても「オートパイロット」である程度、自動的に操縦を乗り物自身が肩代わりしてくれる。
どんどん「自分で考えること」をしなくても、周りが、機械がやってくれることで、限りある時間をより効率的に使うことができるようになったとも言える。


でも・・・
それらは本当に「私」が望んだものなのか?
情報に踊らされてはいないのか?
本来、自分の手で行うことによって、「貴重な経験」という違った情報を得ることができる機会を失っているんじゃないか?
そんなふうにも思う。


人間関係もそうで、面倒くさがって他力本願になってしまうと、何かあった時に「他人に責任転嫁」してしまうんじゃないかとも思う。
目の前で起こった結果は、最終的に「自分の選択の結果」であるにもかかわらず。


誰のための人生か。
他人に認められるためじゃない、自分のために生きてるんだ。

その船を漕いでいけ お前の手で漕いでいけ
お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな
「宙船」の歌詞より

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