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世界基準に対する、不肖小生自身での信念の参考意見

昨今のSDGsの浸透は、ジャケットのピンの浸透でもわかる通り、日本でも明るく主張が出るようになっている。
 ただし、私としてはSDGsの視点は、具体的に日本基準+アルファで補えるものと確信している。補い方は種々あるだろうが、
(1)日本の今の立ち位置を客観的にあらゆる角度から視れるかどうか?
を第一に、
(2)西洋系のポリシーが色濃く出ている前提を、東洋系の視点で中和、またはより良い意味で競争意識的に新しく風を吹かせることで、オリジナルができる、と信じている。

 日本の場合、あまりにも西洋系の文化を取り入れすぎたために、SDGsという基調で浸透できると過信している人が多いように思う。もちろん日本にもともと存在する文化と協調すればよいという概念の人が、少なからず多いがために、他の国と比べて国連的にはあまり浸透具合が進んでいないのも現状といえる。
 本場のSDGsを具体的に中和した尺度が、現在まだ見えないというのも、東洋のひとつの国である日本として、またアジア系の一員の日本人として悲しいものがあるように思う。
 それぞれの個人主義、主張を織り交ぜたとき、新しいものが出現するのではと思うが、まずはそれぞれの論点が出現する場:「おごり高ぶり」を柔らかく評論しながら作り上げるのがベターと私個人は思う。
 以下はあくまで私個人のオリジナルかもしれない。
 新重農主義という言葉が現在あるのかどうか、概念もあるかどうかについて私自身はまだ勉強不足だが、最終的に土地それぞれの地価をこれまでのバブルを起こすような基準でなく、新しい尺度(2個の定規)にて判断することが、解決の糸口になると思う。
 具体的には福岡だったら、
<1>①海に面している、②大陸に近い、③山岳部が存在する「プレート」としての土地、④平野部が多いetcという土地の起伏などの「自然尺度」で判断し、
<2>①土地の上の人の動き(地価で推し量るのでなく、人工物全般

※例えば、博多から鉄路が門司港へ、久留米へ、飯塚へ、吉富へ伸びる方向性etc

に限らず、歴史認識、教育環境も織り交ぜた文化)に根差したものを尺度とするような「生物尺度」で判断する、
ことが、下手に経済社会基準での景気に左右されないスケールとして、良いのではと提案してみたい。
 SDGsの対案が一義的でなく複数個あれば、より強要されずに協調しやすい世の中の「信念のヒント」になるのではないだろうか。

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詩描綺(うたえき)
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