スニフ村的歌詞がすごい曲その11"光はわたしのなか"
絶望から見出す光
どうもスニフ村です。
私事ですが先日24歳の誕生日を迎えました。
愛しの人にBeatsのヘッドホンをもらったので音楽ライフが捗っております。
前回、前々回と死にまつわる楽曲だったので、今回は希望のある楽曲でやっていきたいと思います。
さあ音楽でも聴くとしよう。
やっていきます。
Lucky Kilimanjaro「光はわたしのなか」
【曲全体を聴いての感想】
この曲がリリースされたのは2020年の5月頃。
クソッタレ某ウイルスによって自粛を余儀なくされ、この世の芸術、娯楽が殺された頃。
生き甲斐もなく、ただただ働くしかない頃に聴いたこの曲に異常なほどの暖かさを感じた事を覚えています。
ちょうど社会に揉まれ始め、人生に意味を見出せなかった僕に微かな光を見せてくれました。
何故このタイミングでこの楽曲を選んだかというと、また新たな波が来そうなことと、このクソッタレな縛りが少しずつ緩和され、共存の道を辿り始めた去年からまた一歩今年は歩みを進めて欲しいという願いを込めてです。
何が光だったのか、リリースされた頃のことも振り返りながら、この曲の暖かさを共有できればと思います。
【暗闇は突如としてやってくる】
できればリリースされた時期を思い返しながら歌詞を見てくれると嬉しいです。
「昨日まで続いていた朝 出し抜けに日陰で塗られて あっという間に怪物にあらがう日々 あぁもう! ふとした隙に孤独が入り込んできて 身体が麻痺してしまいそうな うーんいけない! ハウスミュージックでも聴くとしよう」
ここでは現状を歌っています。
でも、ネガティブではなくて全てポジティブに聴こえてくるんです。
当時は完全に自粛ムードで本当に突然暗闇が襲ってきたような感覚でした。
それを必ず来る朝が突如として日陰という闇に塗られてしまった、と表現される出だしで一気に心を掴まれます。
「明けない夜はない」という言葉があるように、「朝」という言葉には希望をイメージする人も多いと思います。
ここで僕が暖かさを感じるポイントは、夜が続くのではなく、日陰に塗られるというところです。
日陰は太陽がないと生まれません。
だから、晴れた朝は来ていて、少し大きな影が覆っているだけなんだと捉えられます。
あくまで希望の象徴ともなる朝は来ているのが、日陰という言葉のチョイスから感じられます。
こういう細かい表現良いですよね。
とても素晴らしくて好きです。
そして、「怪物」や「孤独」といったネガティブなイメージのある言葉を使った後には「あぁもう!」や「うーんいけない!」といった感情的フレーズが入る事で、この状況にもどかしさを感じているのは、自分だけではないんだと思えます。
シティポップなんて部類に入るであろうこの楽曲は、曲調がポップだからこそポジティブな感覚にさせてくれて、端々の歌詞達からも「君だけじゃないよ」というメッセージを受け取れます。
続きます。
「憧れのリキッドルームはおあずけ 今はここでダンスダンスダンス 疲れたら シーラカンスを釣るよ 絶望はうがいでバイバイ このボス戦 乗り切ってやるわ 回復呪文なら まかせといて」
「憧れのリキッドルームはおあずけ」というフレーズもあるように5月に開催を予定していたワンマンがなくなり、悲観的になりそうな状況下でもこうして音楽を届けてくれる。
そんな優しさも感じます。
憧れの舞台がなくなった彼らは、生き甲斐をなくした我々と同じなんです。
このクソな騒動な起きてから、有名人やアーティストが身近に感じることが増えた気がします。
同じように自粛していたり、この状況に不満を感じたり。
同じ人間なんだと、わかっているようでわかっていなかったんだなと思いました。
当時大流行りしていたゲーム「どうぶつの森」。
シーラカンスを釣るのは現代ではほぼ不可能なことから、「どうぶつの森」の中のことを指しているのがわかります。
何かをアクションをするとしても家の中で。
踊ることも、シーラカンスを釣ることも。
何も出来ないからこそ、今できる事を楽しむ。
できる事を楽しむことは、実は今の我々にも必要な事なのかもしれません。
「絶望はうがいでバイバイ」
とてつもない優しさを感じますよね。
ウイルスが相手なので、手洗いうがいがとても大事になります。
このご時世になって、より「手洗いうがいをしよう」と聞くようになりました。
この未知な世界という絶望は、うがいで吹き飛ばす。
うがいなのが良いですよね。
絶望とウイルスは吐き出すといい。
人に絶望を話すことも大事なんですよね。
そして何より、「回復呪文ならまかせといて」。
このフレーズですよね。
音楽は、人にとって回復呪文なんだなって気づかされました。
たしかに良い音楽を聴くと心が豊かになるし、元気が出ますよね。
実際、この頃は良い音楽たちにたくさん励まされて、たくさん元気をもらいました。
こんなご時世だからこそ気づけたことなのかもしれませんが、当たり前じゃないことなんだなとしみじみ思います。
もちろん。
この曲からも希望と元気をたくさんもらいました。
だからこうして共有したくなるんですよね。
続きます。
「とっておきの未来たち 全てが霧のなか 砂嵐の街 灯台のない海 迷って張ったままの心 あれ?踊り忘れてる? 波のように揺れるだけでいいよ この道の先 そこでまた 会おうね」
希望のある未来は霧の中でモヤがかかって見えない。
街は砂嵐で外に出ることができない。
灯台という目標を見失いながら彷徨う広い海。
迷い、緊張したまま張り詰めた心。
全てあの頃に当てはまります。
そんな我々の現状を上手く例えを使って表現してくれているサビ前。
そんな事を考えていたら、音楽を純粋に楽しんで踊る事を忘れてしまう。
でも、それでも良い。
ただ今の波に身を任せていても、そこに音楽はあるから。
そう言いたいのかなと僕は思います。
だからゆられた先にある希望で、また会おうね。
この「会おうね」の部分で限りなく音の数を減らしていることで、熊木さんの声がとてもクリアに聴こえてくるんです。
それが本当に「また会おうね」と言われているようで、こんな世の中でも僕は希望を持つことができました。
そしてサビへ。
「変わる日々に目隠しされても このダンスは止めないわ ここでできる事をやるよ 来たる夏を想うよ 未来は消えてないよ 今だから踊り歌うわ 誰かの笑顔を救い出す 光はわたしのなか」
生活が一気に変化していって、先行きが見えない目隠しをされた状態でも、音楽を楽しみ踊ることはやめない。
音楽を奏でるアーティストの言葉だからこそ響きます。
だから今ここでしかできない事をやる。
そんなこのご時世に対する決意も感じます。
ここでできる事をやりながら、きっとこのウイルスが落ち着いて、またみんなと会える夏を想う。
本当に素敵ですよね。
正直これを書きながら感動しています。
先行きの見えない未来でも、未来自体は消えない。
先が見えなくなると、まるで未来がなくなったかのように思いますよね。
この先どうなるんだろうと悲嘆して、もう全部終わったんじゃないかと感じてしまいます。
そんな人へ向けて、「未来は消えてないよ」と1番伝えたい事を詰めたサビで伝えてくれる。
もう優しさしかないですよね。
そして、「誰かの笑顔を救い出す 光はわたしのなか」で落とす。
これはLucky Kilimanjaro自体が光であると解釈できるとともに、我々にもその光があるとも解釈できます。
きっと僕自身の持つ光や、今これを読んでくれている人の持つ光が、また別の誰かの笑顔を救い出してくれる。
アーティストだけでなく、ごく一般な我々にもそんな力がある。
だから一緒に頑張ろう!
そう言ってくれているんじゃないかなと思います。
【彼らからのメッセージ】
「元気な人は 誰かに分けてね 疲れた人は たまには休んでね 帰ったらすぐに 手洗いうがいを 力の無さを感じても 萎まないでね」
そのままです。
Lucky Kilimanjaroが思っている事をそのまま言葉にして我々へ伝えてくれています。
みんなで助け合って、たまには休憩して、しっかり感染予防はして。
そしてこんなご時世で、何もできない自分を責めないでね。
きっと憧れの舞台でのライブがなくなって辛いであろう彼らが、こうして我々を気にかけてくれている。
その事実だけで本当にありがたいです。
そしてそのメッセージも暖かく、色んな状況にある人へ向けているところが本当に配慮が細かくて素敵だなと思います。
こんなメッセージをもらったら、「もっと彼らの音楽を楽しみたい!」という気持ちになってしまいます。
だから純粋に音楽をここで楽しみ、踊っていたい。
そんな気持ちにさせてまた、サビがきます。
「とっておきの未来たち 全てが霧のなか 砂嵐の街 灯台のない海 迷って張ったままの心 あれ?踊り忘れてる? 波のように揺れるだけでいいよ この道の先 そこでまた 会おうね 変わる日々に目隠しされても このダンスは止めないわ ここでできる事をやるよ 来たる夏を想うよ 未来は消えてないよ 今だから踊り歌うわ 誰かの笑顔を救い出す光は! 変わる日々に目隠しされても このダンスは止めないわ ここでできる事をやるよ 来たる夏を想うよ 未来は消えてないよ 今だから踊り歌うわ 誰かの笑顔を救い出す 光はわたしのなか」
彼らの音楽を純粋に楽しみたいという気持ちが高まってから聴くサビはまた聴こえ方が違って、自然と笑顔になります。
おそらく僕はこの曲をライブで聴いたらシンプルに泣くと思います。
それほど感動する要素をもたらしているのは、何を言おう音楽の素晴らしさと、歌詞の暖かさなんです。
本当に音楽の持つ力ってすごい!
そう改めて思えたのは、このご時世と、この曲のおかげでした。
先が見えないなんて当たり前。
でも先にある未来は消えない。
そんな未来への希望と共に、今ここで踊って生きていきたいです。
【最後に】
いかがだったでしょうか。
少しはこのご時世に希望を感じることができたでしょうか。
またなんだか面倒なことになってきましたね。
僕は専門家ではないのでよくわかりませんが、皆さん体調には気をつけて、手洗いうがいを忘れずに。
では最後にボーカル兼作詞の熊木さんの言葉でこのnoteを締めたいと思います。
「変わり続ける日々の中で、疲れや孤独を感じることがあります。その中でも、それぞれの中にある光を信じて踊り続けられるよう新しい曲を書きました。みなさんが強くダンスできるよう祈っています。」
【次回作】
珍しく次回書こうと思っている楽曲が今のところありません。
どうしようかな〜と嬉しい悩みです。
でも楽しく次回も書いていこうと思います。
少し落ち着いてゆったり聴ける曲なんかも良いな〜なんて思ってます。
誰も待っていないでしょうがお楽しみに。
それでは皆さん良い音楽を。
スニフ村