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遜り

隙あらばされる長い自分語り。長すぎる自己紹介。
この2つが僕はあまり好きではない。個人的に。

これから書くことと特に関係はないけれど、これだけは先に言っておきたい気持ちがなんだかしたので。

これこそが隙あらばされる自分語りである。
短いから許して欲しいのだけれど。


まあそんな感じて本題に入ってみたいと思う。


人と話すことは楽しい。凄く、まではいかないかもしれないけれど、楽しい。自分の考えを聞いてもらえるし、他人のとんでもなく面白い意見・考えを聞けることがある。とんでもなく面白い意見・考えというのは、本当にとんでもない。

一人で考えているだけだと出会えない瞬間だよなあと思う。

あ、言い忘れていたけれど

興味のある話、という前提で話をしていることは忘れないで欲しい。
つまり、そういうことである。
どういうことかは4秒くらい考えれば分かると思う。


特に僕は途上国開発の分野に身を置いて研究をしようとしている訳だけれど、
現地で活動されている方の話を聞くのがすごく楽しい。話を聞くというか、話をする。

聞くだけというのはつまらない訳ではないけれど、そんなに面白くもない。

実務者の方の考え・意見には学びが多くありすぎる。

僕は開発を批判的に捉えようとしているのだけれど、
学術的な視点からだけでは危険なこともたくさんある。

だから、実務者の方からの意見・視点を忘れてはいけないのだと思う。

毎日でも話をしたいくらいである。
ああ世の中の人が皆実務者だと良いなあと、訳のわからないことを思ってしまくくらいには話がしたいと思っている。

話をしたいと思っている、というというなんだか傲慢な言い方になってしまって申し訳ない。

「実務者の皆様どうか僕にお時間をいただけませんか。皆様から学びたいことがたくさんありすぎて困ってしまっています。是非、お願いしすぎます。」みたいな感じである。

文章では伝わりきれないだろうけど、これでもか!ってくらい遜っている。

ここの空間はもちろん僕のものだから、敬語を使っていないことには全然目を瞑って欲しい。心の中ではバリバリに敬語である。多分。


とりあえずの結論(いつもこんな事を言っている気がする。多分、僕は結論としてしっかり落ちないと気に入らないらしい。)としては、僕が立っている位置からは見えない・感じられない・出てこない考え方を持っている方と話をすることは非常に非常に実りがある、ということである。


まあ、自分がそれを取り入れようとどれだけ思えるかって話ではあるけれど。