![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/28859159/rectangle_large_type_2_c6c20fe6dc8267b2f5b2db32acef9a77.jpeg?width=1200)
差別をするな!という差別
人種差別や性差別などのような〇〇に対する差別というのは、決してあってはならないことだし、そういう偏見や差別がなくフラットに物事を見れるのが最も望ましいことであるのは誰がなんと言おうとそうである。
ただ、これはあくまで個人的な意見だけれど、人っていうのは自分では気付いてないだけで、どうしても潜在的に偏見や差別的な考えを持ったりしてしまうと思っている。
僕だって偏見を持ったり、差別的な考えを持ってしまうことだってきっとある。
もちろんそうしないように努めてはいるけれど。
例えば、名前だ。
僕は明らかに日本の名前ではないから、日本ではほとんどの人から外国人として認識される。
そして、「花子さん」という名前があるとする。これは日本人のほとんどは、女性であると認識するはずである。だけど、これはどうして男性の名前だといけないのだろうか?
これは、ある種の偏見や差別的な考えであると言えるんじゃないだろうか。
こんなことを言い出したらキリがないし、収集がつかなくなってしまう。
だから人っていうのは自分がこれまで生きてきた中で作られてきた価値観等によって出来上がった枠組みの中で、物事を判断しているのだと思う。
そして、価値観は人それぞれに違うから、枠組みの形は全然違う。そうして、それぞれの枠組みの「外」にあるものへの認識が差別や偏見というものになってしまうのだと思う。
これはだから、悲しいけれど、仕方がないことであるとも言えてしまうと思っている。個人的に。
ただ、もちろん、だからといって差別を容認するわけではない。できるならそういうのがない方が良い。
圧倒的に。
だけど、例えば反韓・反日運動などのようなものに対して、「これは差別だ良くない!」という批判がある。批判が起きるのは当たり前だし、個人的にもそういうのは悲しくだってなる。ただ、反韓・反日運動に対して差別だと言っている人たちだって、同時にそういう(反韓・反日運動をしている)人たちに対して差別的な考え方をしているのである。
そういう人種差別的(一般的にそう言われているはずである)な運動をしている人は、自身の「正義や善」に基づいて行動している可能性だってあるわけだ。
つまり、見方によってはその人たちは差別をしていないし、正しいこと(何が正しくて間違いかという議論はここではしない)をしているとだって言える。
だから、その人たちに対して「差別するのはよくない!差別をするな!」っていうのは、
自分もそれと同時に差別をしているという矛盾が生じているのである。
これは凄く難しいし、上手に言語化できているような気がしないけれど、僕の言いたいことが上手く伝わってくれていると嬉しい。とても。
もう一度言うけれど、これは本当に難しい。
そして、僕の考え方はきっとたくさんの誤解を生んでしまう可能性だって大いにある。
でも、それはそれでかまわない。人の受け取り方は、「受け取る人の数通り(無限に)」ある。だから、それはそれで良いと思うようにする努力はしている。
とりあえず、僕はこの差別というものに対してほとんど無理やりに答えを出してみた。仮定的に答えを出してみないことには進めないような気がしたから。
前なのか後ろなのか、横なのか斜めなのか、どこに進めるのかは分からないけれど。
だからこの答えは、あんまり良いとは言えないかもしれないし、これから変わってくることだってある。
それは分かっていて欲しい。「仮の」答えである。
まあそんな感じで僕が出した答えは、
「自分は差別を無意識的に行ってしまっていることに対して責任をもつ」
ということである。
ひどく漠然としてしまっているけれど、
要するに「自分が差別的考えや視線を向けられた時に、その相手を非難しない」ということである。もちろん、これは僕個人が出した答えであり、決して他の人におすすめをしようとは一ミリも思わない。
とにかく僕は、
「自分に向けられた差別的な視線・考え方を受け入れるつもりである。」
ということである。受け入れるという表現が適切かは分からないけれど、、
そりゃ僕だって、自己紹介のときとか、反韓運動に対する報道とかみると複雑な気持ちになるし、うんざりだってする。
その回数の方が多いような気もしているけれど(笑)
だけど、同様に僕だって誰かに対して同じ様な気持ちを味合わせてしまっているのだと考えると、正直、その人たち(差別的な視線・考えを向けてくる人)を攻める権利は僕にはないのである。
なんというか、「お互い様」なのだ。
ただ、この考えは一歩間違えれば自分の差別的な考えや、この世に溢れている差別などを容認してしまうことになりかねない。
だから、僕はできる範囲で最大限、差別は良くないと言いたいし、自分だって差別をしないよう最大限の努力はしているつもりである。
まずその一歩目として、「差別的な考えや偏見」に対して、差別的な考えや偏見を持たないように努めるのである。
凄く長くなってしまったけれど、これを読んだ人が少しでも「差別とは?」について考えるようになればこの文章にだって価値はある。