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テレパシー
この題名だけみると、なんだか自己啓発本っぽい気がしてしまって「うーーん」という気持ちになってしまうけど、そこは気にしないでくれるとありがたい。
※題名を変えたので、この文章では辻褄が合わなくなってしまっているけれど、面白いので残しておく。
たとえば、今頭の中で考えていることがあるとする。
そして、それを形にして表現する媒体が僕にとっては現時点で言葉というものしかない。
要するに言語化。
就活セミナーとか自己啓発系のセミナーで流行りの言葉だと勝手に思っている。(就活をしたことがないので、とても偏見に満ち溢れてしまっていて、申し訳ないと思っている。)
「君はなにがしたいの?言語化してみよう!」みたいな感じ。あっちでもこっちでも、どこを見ても、「言語化しましょう」のオンパレード。
まあ、言語化っていうのは当たり前に大事だし、絶対に必要なことであることには疑いの余地はないとは思う。
ただ、これは個人的に思っていることなんだけど、頭の中で考えているものの形と実際の言葉にして現れる(表れる?どっちか分からないや)形では、なんだか微妙に違っているような気がしている。という事である。
これは多分、僕の語彙力とか言語化能力(もしそいういのがあれば)に多少問題があるかもしれないけれど、、
そしてさらに、「言葉という媒体を通じて現れた僕の考えているもの」を僕以外の人が受け取る時にまた、それは形が変わってしまう。
これは100%そうであると断言できてしまうような気がしている。
僕が頭の中で考えているものの形が、◯だとする。
すると、それが言葉という形で表現された時、
その形は限りなく◯に近いけれど◯じゃなくなってしまう。
そして、その「限りなく◯に近いけど◯じゃないもの」を僕以外の人が受け取る時、その形は正二十面体くらいになってしまう。
まあ形はなんだっていいんだけど、
とりあえず、
「僕の頭で考えていることの形≠(時々≒になる)他人が受け取る“僕の考えていること”」
となるということが伝えたいのである。
現に、これを読んでいる人は僕の考えていることと同じ形でそれを受け取ることは100%できていないはずである。というか、絶対そうである。
それは同様に僕も、誰かの考えていることをそれと全く同じ形で受け取ることなんてできない。できるだけ同じ形で受け取るような努力はするけれども。
(多分、それがコミュニケーション能力というんだろうし、コミュ力が高い人っていうのはできるだけ同じ形で受け取る努力をしている人なんだと思うけど。)
結論というのを出すとすれば、
語彙力は大事だと思うし、言語化する能力も大事だけど、それにも限界があるのだということは絶対理解しておく必要がある。ということである。
P.S(ちょっとやってみたかった)
テレパシー能力を駆使するような生命体がいれば、人間なんてあっという間に滅びてしまうんだろうなあと思っていたりもしている。