息子のみなさん、父が好きですか?
「わからない」のままの自分
父が嫌いかと言われれば、違う。
しかし、父を尊敬し、理想の父とし、大好きかと聞かれれば、少しモヤモヤ。
実家に帰れば父は、母とともに暖かく迎えてくれ、歓迎すらしてくれる。
大きな喧嘩という喧嘩も、したことがない。
ただ、母と比較して、圧倒的に父のことがよくわからないのです。
だから初めて父親という存在を棚卸ししよう、と思ったのです。
(読み時間:1分ぐらい)
始まりは父の病気から
自分は関係ないと思っていました。
父は、ガンと、筋肉に起こる特殊な感染症の2つでした。
ガンは幸い問題なく、放射線治療で済みましたが、感染症は入院半年。
70過ぎの半年入院の結末は簡単です。
よくわからない「父親」が、いきなり歩くこともできない要介護になりました。
歩けない、というレベルではないです。そもそも立てないのです。
心配と怒りと困惑
心配も大きかったですが、怒りや困惑も大きかったです。
父は父。ほっておくわけにもいかない。
否応なしに、自分の生活を犠牲にする、という選択肢の優先順位が上がり、
怒りが、困惑とともに自然と込み上がりました。
なんとかしなくてはと一緒に、なんでそんなことしなくちゃいけねーんだ、です。
普段は偉そうにしている父親。
行動力のない男でもある父親。
しかし、自分の育て親であり、面白い人でもある父親。
人間ですから、当然いろいろな側面がありますが、このときは、
「家族全員の生活を犠牲にするかもしれない」父親だったのかもしれません。
「歩いて帰れるまでリハビリしてから帰ってきて」
残酷かもしれませんが、そう伝えました。本心です。
自分より物理的に大きな父を、素人の母が介護できないことは明確。
70歳ちょい過ぎの父がきちんとリハビリすれば回復することも事実。
そして先行き不透明で仕事をやめる選択肢もナンセンス。
初めてイチ人間として、父に託すような思いでお願いし、期待をかけました。
「よくわからない父」が、どこまで頑張るかもまたよくわからなかったです。
が、それしか現実的にあり得ない選択肢でした。
結果として、父は、本当に歩けるまで回復し、帰ってきてくれました。
安堵感と、再度イチ人間として、やるじゃん!と褒めたくなる気持ちでした。
すべての懸念を、頑張りで、個人の力で払拭してくれたのです。
「父」以外の側面を知る努力をしたことのなかった自分
生まれてからずっと、父は父なのですが、当然別人格。
一人の個人として話してみたり、期待したり、問うたり。
そういった試みをしてこなかった自分に問題があったのかもしれません。
経済的に自立するだけが、親離れではない。そう今は思います。
親離れには、親、以外にも視点を持つ努力が必要でした。私に。
父親なのに、よくわからない人、なのは当たり前なのかもしれません。
だって、もう別の家族を持っているのに、父を父としてしか見ていないから。
人間、もう90歳まで普通に生きる時代です。
だから父とはまだ残り20年という、長い時間がある。(もちろん母とも)
息子としてではなく、個人として親を、父を知ろうと思います。
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