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痛みなくして学びはない

「痛みなくして学びはない」

人生に確かなことなど少ないけれど、日頃より全方面で不器用を発揮する僕が、これだけは間違いがないと自信をもって断言できる。

まあそんなにカッコつけて言わなくても、要は「痛い目みなきゃ分からない」というただ不器用なだけなのだけれど。

会社員を13年もやっていると、仕事の上で痛い目をみるようなことはほとんど無くなってくる(もう散々味わった)が、テコンドー・格闘技だけは20年続けても尚痛い思いをすることの方が多い。
物理的にも、精神的にも。


昔、大学を卒業する直前ごろ、千葉道場の近くの焼肉屋で徐師賢にご馳走になりながら、社会人になってからも変わらず跆拳道を続けようと考えている旨話すと、こんな風なことを言われた(気がする)。

「まず仕事ちゃんと出来るようになってからやれ。仕事も出来へんやつに跆拳道なんてできるわけがない」
※12年以上前の記憶なので前後やニュアンスに違いはあると思います

当時21歳のガキだった僕は、うまく理解できなかったけれど、(徐師賢の意図したことは僕の受け取ったことと別にあったかもしれないけれど)今では本当にそう思う。

会社の仕事は、多少の量や複雑さはあるにしても所作や人間関係のポイントさえ抑えれば、評価の有無は別として、「痛い目」を見ることなんてそうそう無い。時間の経過とともにそれは余計にそうなる。そして多くの会社員たちが、痛みのない平坦な道を定年まで各々のスピードで歩んで行く(僕のような凡人サラリーマンだけかもしれないが)

しかし、こと跆拳道、格闘技となると話は別で、時間の経過は、痛みの軽減を全くもって担保してくれない。

30代半ばになるとまず自分のコンディションの維持が困難になってくる。道場をやっていると、自分より格上の相手と練習する機会はまず無い。
自分の身体や技を自在に扱えるように練習を積み重ねても、闘う相手次第で通じたり通じなかったりもする。怪我は治りにくいし、反射スピードは落ちに落ちる。

当たり前だけど、格闘技って本当に難しい。

僕みたいに不器用な人間は何年やっても前進後退を繰り返すしかない。

そして今回のように、いつもと勝手の違うリング、ルール、異種目となるともうはっきり言ってお手上げだった。

エキシビションという名のガチスパーリング、そしてムエタイ100戦以上、おそらく5kg程度上のウェイトの相手に、文字通り痛い目を見て帰ってきた。ムエタイのミドルキックは腕ごと壊しに来るというのは本当なんだなとひとつ勉強になった。

それでもエキシビションという形式の役割は果たせたのではないかとも思っている。試合後の会場中からの温かい拍手は、僕への労いだったと密かに確信している。

まあなんだかんだと御託を並べたけれど、

歳を重ねることで比較的(若干は)楽になる会社員と違って、歳を重ねてもなお強さと技術を向上させなければ痛い目ばかり見る格闘技。

どちらが面白いかは言うまでもない。


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