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「従わなきゃ」という呪縛

「従わなきゃ」という呪縛が苦しい。

けっこう最近まで、同期や後輩であっても強い態度をとる人に対しては反射的に「従わなきゃ」「この人ともうまくやらなきゃ」という思い込みが強かった。修士に上がったころ(1年半前)から、「そういう人とは適度に距離を取ってもいいのかもしれない」と気づいて、少し人間関係が気楽になったような気がする。…まだその気がないわけではないけど…

しかし今でも、主に目上の人…親、先生、先輩、上司に対して、過度な「従わなきゃ」という強迫観念にとらわれているような気がする。

原因の1つは明白。親との関係にある。
私が幼いころ、母はその忙しさでとにかくヒステリックで、幼い私や姉が親の留守中に家事をしていないというだけで大きなため息とともに悪態をつき、母の呼びかけへの反応が10秒遅れれば金切り声が飛んだ。

今でも、他人であっても声を荒げた姿は見ていられない(これは万人がそうかもしれない)し、目上の人のため息や、ため息がなくとも相手のちょっとした態度の変化で「ああ失望された、どうしよう、嫌われた、どうしよう」と思考の渦に入っていく。
たとえば先生の挨拶のトーンがいつもより高いとか低いとか、たったそれだけで、そう思う。一度でもため息や「なんでわからないかな」という態度を示されると、その相手へのアンテナは何倍にも敏感になる。

原因の2つめ。そもそも、嫌われるのがなんでこんなに怖いんだろう。
小学校でも、中学校でも、高校でも、「何もしていないのに嫌われる」ということはときどきあった。人当たりは昔からいい方だし、一緒に帰る友達がまったくいなかった時期なんて、小学校入学後最初の1週間しかない(これもむしろ、7割近くが系列幼稚園からの内部生というアウェーな場所でたった一人友達もなしに入学し、たった1週間で一緒に帰る友達を作るのはコミュニケーションに長けているほうだと思う)。
でも、なぜか2年に一度は「あんたのことなんか嫌いよ!」と徹底的に悪口を投げつけられるのである。

以下は自分用の備忘録だが、小2では冬休みのキャンプで3日間徹底的に班の女の子たちに無視され(初対面。無視された理由は「はなちゃんだけ小学校が違うから」)、小3冬のキャンプでも全く同じことが起き、小5から小6ではずっと仲の良かった塾の友人3人に徹底的に無視されはじめた(同じ中高に進んだ彼女らの行動は高校まで続いた)。親戚宅にいくと姉はいつも私を仲間外れにして従兄弟たちと遊んだし、親もそれを強く止めようともしなかった。中1のときはなぜかクラスで浮いている存在扱いだったし、中2から中3にかけてはクラスメイトの一部(2-3人)に裏で悪口を言われ、他の友人に「聞かない方がいいよ」と間に入ってもらう日々だった。高2では自分に対する嫌がらせこそないものの特に仲の良い友人が双極性障害で周囲の人間関係をぼろぼろに壊していく様子をフォローするのに必死だったし、通っていた塾の塾長には「こんなやつが東大行けるわけないだろ」と自分のいない場所で嘲笑されていた。高3では信頼していた委員会の同期に「あんたのことマジで嫌いなんだよね」と教室のど真ん中で絶交宣言をされた。あぁ、そういえば中2から高2くらいにかけて、特定の部活の同期にひたすら嫌われて、宿泊行事のグループ分けで仲間外れにされていたっけ。こんなのもあったな。

うん、私が何をしたって言うんだ、相手が複数人のがほとんどだし、そうじゃなくても相手のやり方がダメすぎるだろ全部。しかもときどきじゃないな全然!毎年じゃん!ひとつひとつは大したことなくてもチリツモ!
大学に入ってから嫌われるということはなくなって、そういう意味では生きやすくなったかもしれない。フリーライダーが増えたことは嫌だったけども…

親には当時ほとんどの出来事を伝えていなかった。大学生になってから親のヒステリーが落ち着いたので一部を話したら、「多くない?」とつっこまれた覚えがある。客観的にみられないので私にはわかりません。

あまり気にしていないつもりだったけど、あまりに何度も何度も繰り返すから、そして、母も父もそれを聞いてくれるような状態ではなかったから、「嫌われる」ことが本当に怖くなっちゃったんだろうな。

自分の受け取り方が、アンテナの敏感さが、受け取った情報の自動的な拡大解釈が、それを引き起こしていることはわかっている。先生のため息はただ単に椅子に座ってほっとしてついたものだったかもしれないし、声のトーンの高低など毎日同じであるはずがないのに。

しかも、相手に失望されたとして何になるのか。この世界80億人のたった一人に失望されたところで、今のところ研究にも仕事にも大きな影響があるわけでもない。むしろ丁寧に指導してもらえたりする。直属のボスに嫌われても、それだけで死ぬことはない。自分の価値が変わるわけでもない。嫌われて、精神に何かしら異常をきたしたとしても、くちゃくちゃの10000円にも10000円の価値があるように、私の価値は1円たりとも変わらない。一度もみくちゃにされたら新札には戻れないけど、別にすべての10000円札がご祝儀になるわけでもないし、そもそもいつかは新札もふつうのお札になるわけで。

理屈では分かっているの。
でも、私のせいではないのに、もみくちゃの10000円札になっていることが悔しいと思うし、私のせいではないのに自分でシワを伸ばしてあげなきゃいけないのも、しんどいの。
分かってるよ、起きちゃったことは仕方ないし、自分で処理しなきゃいけない。カウンセリング使ってもいいし、病院使ってもいいから、自分は自分と生きていくしかないから、自分のことは自分でナデナデしてあげる必要があるんだよね。でもしんどいんだよね、

迷える自分のために、今後の指針を置いておこう。
・人の顔色を窺うようになった理由を定期的に見直してみよう。「わたしのせいちゃうやん!あほらし!」「こらしんどいわ!」と、過去と今の自分をよしよししてあげよう
・いざ目上の人の意見を取り入れる必要があるときは、まず自分で自分なりに選択肢を出してみて、そのうえで意見を求めてみよう。それで伝え方もわきまえずに真っ向から否定してくる人は、人間的に終わっている付き合うのが難しいので、一定の距離をとってなんとかやり過ごそう。
・新たに言われたことは、自分なりに吟味しよう(時間がかかってもいい)。納得できなかったら、納得できない理由を素直に伝えてより詳しく教えてもらおう。目上のくせに訊いても教えてくれない人は人間的に(以下略)
・失敗したり、簡単なことを訊いて「バカだなあ」って思われるのが一番怖い。失敗しても向こうから「ポンコツやったね~笑(←穏やかな笑い。決して人をバカにする笑いではない)」と言ってもらえたりすると逆に安心して聞きに行きやすい(バイト先の上司がそう。心底ほっとした。上司として好きです)。けど、期待されてたのにガッカリされるってのがいちばん怖い。期待に応えられなかったという居心地の悪さを勝手に感じてしまう。そういうときは、私に過度な期待をする上司がまず悪いとして、そのうえで、怒らず、焦らず、「じゃあこうすればいいんですかね」「ここが分からないので、教えてください」ととぼけた顔🥴で話そう。下に見てくる相手はこちらが下手に出てやろう。そうすると、会話の主導権はこちらに来る。真面目なポンコツは愛されるぞ。

自分で自分に自信もたないで、だれが持つんですか!
愛され系ポンコツになろう


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