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結婚ってなんだろうね

大学院生になって、今年の誕生日が来たら24歳だなあ、と気が付いた。

ぽつぽつ、まわりでも結婚する人が出てきた。
幼馴染は気が付けば付き合って5年目ですでに結婚しているし、
小学校から大学まで同じの腐れ縁友人は付き合って4年目の記念日に入籍するらしいし、
研究室の同期は学部の卒業式の日に入籍したことを明かしていた。

公立小中に通っていればもう少し既婚者率が高いのかもしれないけれど、「男女ともに4年制大学に行くのが平均値」という地域の私立小中で育った私としては「もうそんな年なのか」と驚きでしかない。

こういった話を耳にするたびに、自分にとっての「結婚」について考えることになった。
結婚願望はあるけど、それはなぜなんだろう?
結婚したとして、結婚後はどんな生活がしたいんだろう?
自分のキャリアと家庭とはどう折り合いをつけていくんだろう?
そこで考えたことを書きとめるnoteとしたい。



「わたし25になったら婚活するから」


…大学入学時から、私は友人たちにこう宣言してきた。

『浪人して修士は取るつもりだから、
アカデミアを卒業するのが最速で25歳の春。
年齢的にも結婚ラッシュが始まるであろう時期で、
婚活を始めるには絶好のタイミング。

私のことだから
どうせ大学時代に何度も恋愛を重ねることはしないだろうし、
それでいてぼんやりと結婚願望はあるから
適齢期になってきたら焦って精神を無駄遣いするだろう。
それならばもう
「婚活をスタートする時期」を決めてしまえばよいのではないか


たしかそういう理由で決めたことだった気がする。
今思えばなんと後ろ向きな理由だ、とも思うが、
焦りたくない・それで仕事に支障をきたしたくない、という、私の性格に合わせた人生設計のひとつだった。

スタートは後ろ向きだが、個人的にはこの線引き作戦は割と功を奏していると思っている。
婚活を始める、つまり結婚を意識することは、自分(と配偶者)が中心の家庭を持つ覚悟を決めるということで、
男女問わず一般に「まだ結婚する気になれない」という人も多いことから分かるように、その覚悟は無意識に持てるものでもなさそうに思う。
「25になったら婚活する」というマイルールをとりあえず決めて周囲に宣言しておくことで、はじめはイマイチ実感が湧かずとも、年齢が上がるにつれてマイルールについて考える機会が増え、25になれば覚悟が決まっているという仕組みである。

いやあ、19歳自分、賢い。
おかげで23歳の私が少しだけ答えを見つけた気がするよ。


Q1.結婚願望の理由は何?


子どもが欲しい、とも思う。寄り添える相手が欲しい、とも思う。
果たしてそれはなぜなんだろう?

「愛とは何か」という問いが、私をとりまくコミュニティで流行ったことがあった。当時の私の答えは以下である。

人を最も根本的に救うのは憐みでも直接的な救済でもなく、
『何があっても隣にいて、その人自身を見て、
その嬉しさも苦しさも(理解はできずとも)知ってあげること』
であり、これこそが『愛すること』なんだと思う。

だから、私を好いてくれ、大切にしてくれることは大前提として、
私の行動や思考に左右されず安定して自分の考えで行動できて、
それでも私の横にいてくれる人が居るならその人と一生一緒にいたい。

私がどんな状態でも、
誰かが自分自身の理想や現実と向き合いながら
ずっと変わらず隣にいてくれるというなら、
私も同じように
自分がなりたい自分になれるよう自分と向き合い続けながら
同時に君のことを1人の人間として尊重しながら
ずっと隣にいる。

後半はそのまま結婚観とも取れるし、実際にそのつもりで語っていたように思う。

基本的な考えは変わっていないが、「とはいえ、これらは結婚願望の理由にはならないよな」とも思うのである。
結婚願望の理由は何なのか?

今の私は「どうも私は家庭をひとつのコミュニティとして見ている節があるかららしい」と結論づけている。

私は結婚云々に関わらず、自分に合った、他愛のない会話ができて、ケの生活を共にできるようなコミュニティを欲する傾向にある。
”密な人間関係”を欲しているわけである。
そういう”密な人間関係”への欲が結婚願望に表れているような気がするのである。


Q2.どんな家庭を築くんだろうか


ここまでくると、Q.2は簡単だった。
「自分の好きなコミュニティを作ればいい」が答えである。

経験上、
家庭に限らず私が居心地よく暮らせるコミュニティの共通点は以下である。

①風通しがよく、話したいことが素直に出せる
②気遣いのレベルが同等
③コミュニティメンバーがお互いを対等な目線で見ている
④各自が”頑張りたいこと”を持ち、自分なりに努力している
⑤お互いの話を聞く時間をもつことがコミュニティ維持の基本となっている

先述した「愛とは何か」の私の答えとも一致する点が多い。
とすると、結婚後の暮らしでも同じではないか?ひいては恋愛で相手に求めるのもここではないか?

気が楽になった。なるほど、コミュニティが欲しかったんだ、わたしは。


Q3.キャリアと家庭との折り合い


ここからは少し別の話。

家庭を持つ、そして子どもを持ちたいとなると、どう頑張っても働き続けることはできない。
体調に不安があるならなおさら。
とすると、自分のキャリアとどう折り合いをつけようかな、と今から考えておいて損はないのではないか。

そう思って、数か月前に30代でバリバリ働く既婚者の女性にこの疑問を投げたことがあった。
彼女の答えを一言一句覚えているわけではないが、以下のような解釈をしている。

これからの時代、新卒からリタイアまで同じ場所で働くというキャリア形成はどんどん廃れていく。そのかわり、転職等を繰り返しながら、「その人にしかできないキャリア」を作っていくのがキャリア形成の主流になっていくだろう。

家庭をもつこと、子どもを持つことも、「その人にしかできないキャリア」の一部であって、70歳まで働くことになりそうな我々の世代であれば、
子どもが小さい数年の間仕事から離れていようとも、そこで得られた学びをキャリアの一部にしてまた働くことができる。

だから、子どもの世話で仕事から少しの間離れることをマイナスに見る必要はない。そして、転職がこれまでより当たり前になっていく世の中、転職を機に働き方を調整するといったこともできるようになるはず。

家庭をもつことは自分のキャリアの邪魔になるとだけ考えるのは、
いささか早計だし、時代に沿った考え方ではないかもしれないね。

子どもの世話で5年も6年も仕事に穴を開けていられない、とにかく働きたい
…そう思っていた私にとって、目から鱗な助言だった。

ただ時代に流されるのではなく、
「その人にしかできないキャリア」を創り出せる人になりたい。
そのためには、自分の特性や自分が真にやりたいことと真っ向から向き合って、それを踏まえて自分にできることはないか調べて、考える必要がある。

考えるための思考のピースは既にかなり揃ってきているはずで、
これからも情報収集には労力を惜しまず、その一方で思考のピースをはめていく作業もしていきたい。
それがきっと就活にも生きていくんだろうな、たぶん。

結婚のことを考えていたはずなのに、気が付けば「自分と向き合う」話になっていた。つまるところ、結婚も「自分と向き合う」先にあることなんだろうな。


さいごに


結婚について、
ただ恋愛の延長だと捉えて「自分とは関係のないことだ」「もっと遊びたいから考える必要がない」と思考を据え置く人も多いような気がする。

こうして考え事を連ねていくなかで思った。
恋愛の延長であることは事実かもしれないが、
どちらかといえば 恋愛が結婚の練習 
ひいては 人生の練習 なんじゃないか

隣にいる人とコミュニティを創り出すこと
そのために自分自身と向き合い、「自分にしかできないキャリア」を手探りながらも見つけていくこと

結婚がこれらを意味するのであれば、
「人生の墓場」とも呼ばれる「結婚」も、
案外楽しいものなのかもしれない。

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