夢は心の鏡
最近こんな夢を見ました。
仕事場に向かっている途中、両足に500キロの重りがついたかと思うぐらい足が重くなり、普段なら1分足らずで歩ける距離を10分かけてもつかないぐらい全然進まない。心は早く行かなきゃ、とてももどかしいのに足が全然ついていかない。手探りで近くのものに捕まり、腕の力でどうにかこうにか身体を進める。そんな中忘れ物に気づき、来た道を戻りまたスタート地点から必死に前に進む
朝起きて決して清々しい気持ちにはならない夢。窓から見える空が私の心のモヤモヤを一層増加させるかのような曇り空。
その日はちょうどお休みの日でした。お休みの日の朝から仕事のことかよ…と思う反面、この気持ちのまま仕事をしていたら絶対にうまく行かなかっただろうから休みでよかったのかもしれない…とも思いました。
(ちなみにこのような前に進みにくくなる夢は今まで5回ぐらい見ています。)
私は楽しくて気分が上がる夢を見たらメモをして記憶に留めてるようにしています。夢の中は現実と非現実が交錯しているので、"妙にリアルだけど絶対にありえない"そんな夢のような夢を見せてくれます。(大好きなアーティストと結婚している夢、ありえない場所でありえない近さでライブを見た夢、などなど…)
そんな楽しくてワクワクするような夢の記録が1月20日以来止まっているのです。
1月20日、その日は昨晩卒論の一次提出を終え、大学卒業がほぼ確実となった翌日の朝でした。就職先が決まるのが遅かったため、卒論に取り掛かるのがとても遅くなってしまい、なんとか形にしなければと必死になっていた約4ヶ月間がようやくひと段落した時でした。
その時は「卒論頑張ったご褒美にこんな最高な夢を見せてくれたんだ!!」と浮かれていましたが、後から考えると物事がひと段落した安堵から楽しい夢を見る余裕ができたのではないかと思います。
それでは1月20日以降楽しい夢を見れていないのは何故なのでしょう。
4月から始まる新しい生活への不安の方が大きかったからかもしれません。
真新しいランドセルを背負い「学校が楽しみ!」と期待を膨らませていた小学一年生から15年以上経ちますが、年々あの頃のように純粋に新生活を楽しむことができなくなっていると思います。いい事も悪い事も含めて経験を積んだからなのでしょうね。
新生活が始まり2ヶ月が過ぎようとしていますが、一向に楽しい夢を見る気配がありません。
それはきっと心に余裕がないから。そんな気がします。
必死になって食らいつかないと、早く仕事を覚えないと、頑張らないと。
そうやって必死になって知らず知らずのうちに自分の心の余裕を擦り減らしているのかもしれません。まだまだ力の抜き方が分からない新人なので余裕が出てくるのはもう少し先かな。
夢は心を写す鏡のよう、そんな風に思います。
自分では気づかない些細な心の変化を間接的に教えてくれる。
楽しい夢をみたら、こころの調子がいい時。
悲しかったり辛い夢をみたなら、こころのSOSがでているサイン。
私の心と向き合う、考えるきっかけを作ってくれる。夢はそんな存在だと思います。
出来るだけ夢の内容を覚えて考えるきっかけにしたいですね。
今日はどんな夢を見れるのでしょうか。
素敵な夢が見れますように