本当の優しさ
私はいつまでも自分に満足ができない。
「優しいね」
誰にでも言える褒め言葉の1つ
私にとっては特別な言葉
誰からも言われてきた言葉
「あなたは優しいから、そんなに苦しいのね」
はじめて言われた言葉
でも私、自分のこと優しいって思ったことない。
目の前に困ってる人がいたら、
あなたはどうしますか?
私は手を貸します声をかけます。
けれどそれは私にとっては当たり前なんです。
それが優しさならいくらでも出来ます。
クラスで誰かがやらなければいけない係に手伝い
誰もやりたく無かったら、
あなたはどうしますか?
私は手を挙げます自分がします。
なぜならそれが1番早くコトが片付くから。
これが優しさなら私はとても優しいです。
でも聞こえてくるんです。
「偽善者」
「八方美人」
「猫かぶり」
先生に取り入ってるわけでも
なにかお返しが欲しくてしてるわけでもない。
私がそれが最善だと思うから
そうすべきだと思ったからしたことで
みんなが喜んでくれると思って
そうでなくても私は自分の時間が大切にできるから
それでいいと思ったんだ。
何より私は「いい子」じゃない。
口も態度も悪い。
できないことの方が多い。
影も薄くて取り柄もない。
目立つはずがないのに、
何故こんなにも目をつけられる。
何もしていなくても、私が褒められれば
誰かが不満になる。
私はずっと不思議で仕方がなかった。
私が私を生きて
誰かの邪魔になるのか?
私の優しさは
他の人からしたら
他の人の評価を奪うのですか。
私は後悔していることが沢山ある。
優しくしたこともそのひとつだ。
私は自分のために相手に優しくしたことが
何度もある。
自分が悪く見られないように、
私が嫌われないように、
私を守るために。
その時は相手のために行動しているって
そう思っていたんだ。
でもきっとその行動は、
私のためだった。
他に方法がわからなかったから
間違ってたとは言えないけれど、
過去の私にはそれが精一杯だったことがあって
けれどその行動は相手を知らぬ間に
私に依存させ、私で狂わせていた。
私の優しさに救われ、蝕まれていた。
誰かに手を差し伸べることは
素敵な事だと思う。
その一瞬はとても美しい。
しかしどうだろう。
いつまで優しさが続くだろう。
そこに嘘がなくても、
優しくされた相手は
その優しさに救われたあと
苦しむこともあるのではないか。
それはその人の問題だって少し冷たくしても、
差し伸べた手は
その人の人生に手をかけたことと
同じなのではないだろうか。
あなたという存在が
誰かの世界に、人生に、
生まれた瞬間でもあるのではないか。
私はできる限り
人に優しくいたいと思う。
それと同時に
どこまでが本当の
相手にとっての「優しさ」で終われるのか
考えてしまう。
私、優しい子なのかな。
本当に優しいのでしょうか。
ここまで想いを書いて思ったの。
題名を決めるでしょう。
それを元に書いていくでしょう。
私ひとつのことを伝えたいんじゃない、
沢山の想いが溢れてその1部にすぎないから
だからこんなにまとまりがない。
嫉妬や憎しみ、喜びに悲しみ、たくさんの感情が
ひとつの感情から連鎖して連鎖してって
私というひとりの人間を生んでいるんだ。
こんなにも複雑に絡み合う生き物、
私他に知らないの。
私は私しか生きていてないから。
知る術がないの。
本当は自分に満足のできない人間を話したかった、
それが優しさの分からない
欠けた人間になってしまった。
たくさんの優しさをもらって生きてきたから
私は優しいと言ってもらえる人間になれたのかな
求めて求めて、足りないの。
どこまでも求め続ける、
完璧を完全を求めて
誰かと生きるのね人って
自分に無いものを求めるように
誰かを求めるのね。
凸凹な体を繋ぐように
人は繋がっていくのね。
本当は、私生きるのが下手って言いたかった
けれどこんなに伝えるのも下手なら
言わなくても分かってしまう
不器用な人間だ、と。
私の言葉を聞いて
納得や頷きは得られないかもしれない
だからなんだと思うかもしれない
でも私の頭の中の1部を見てほしい。
これはただの私の脳内の1部であり、
あなたと繋がれる凸凹のひとつを、
探しているのかもしれない。
誰かの話を聞く時って
自分の脳内で検索してしまう。
私と同じ、ちがう、あたらしい、面白い。
私だけなのかもしれません。
誰かの検索に引っかかったら
私の凸凹、少しは埋まるのでしょうか。