88円で人は幸せになれるのか?
お金、欲しいよね。
え?唐突だって?笑
そんなこと言うのはお下品て?
いやいやいや
「お下品」と感じるのは
あなたにとってお金という存在がそう、ということで
お金自体はな~~~んも「お下品」ではないですよ。
さて、本題に入りましょう。
我が家は朝、パン派なんです。
私は食べないけど(私はご飯派)
夫と師匠(年長)がかならず朝はパン。
でね、この毎朝食べる食パン、一時期は
米粉とか(グルテンフリーにしたかった)
保存料や合成着色料不使用、とか
パン屋さんが厳選した材料で作った食パン!
みたいな感じでこだわって選んでいたんです。
だから当時はスーパーのプライベートブランドの製品は全然買わなかった。
安いけど、それって添加物とかいっぱい入っていて
身体に悪いじゃん。
味もそんなに美味しくないんじゃない?って
思っていたから。
でも私、昨年の後半くらいから
マジでお金ない~~~~!!!!!!!
ってなって
食パンに払うお金も惜しくなったのですよ。
今思えば、たかだか数百円なんだけど。
ないよりはまし。
食パンならいいんでしょ?
そうは思っても実はやっすい食パンを初めて買うとき、
どきどきした。
これ、なんかパンの耳とかかたそうな気がする。
どんな味だろう?
美味しく食べてくれるんだろうか?
安くったって、おいしく食べられなかったら損するじゃん、て。
ちなみにいくらの食パンを買ったかというと
スーパーで6枚88円(税抜)
↑
まじで安い!
なんでこんなに安いのか・・・?
色々思ったけど
え~~~い、迷っている場合ではない、!
今の私にはこのパンが必要なんだ~~~~~と思って買った。
で、結論から言うと、
6枚88円のパンでも、夫も師匠(年長)も喜んだ。
特に師匠は当時、小倉あんとバターを
食パンに塗って食べるのが流行りだったので
全然問題なかったらしい。
そして夫も。
ちなみに我が家のトースターはバルミューダ。
(バルミューダは偉大だ)
なんかね、私このとき思ったんだよね。
88円の食パンをバカにしてたんだって。
もっというと88円というお金を軽んじてた。
88円で買えるものって大したものないんじゃない?
つまりは、88円というお金自体、たいしたことないって意識になっていたんだと思う。
一円を笑うものは一円に泣く(´;ω;`)ウッ…
という格言を知っておきながら
私は一円をバカにしていたんだろう。
そして、1円より500円のほうが素晴らしい、
もっというと500円より千円、
千円より1万円、みたいなね。
なんか高い金額はすごい、そうじゃないとすごくない
と無意識に思っていた。
ああ、私、これじゃあお金貯まらないはずだ。
一円だろうが500円だろうが、千円だろうが
お金はお金。
お金で何かを得ている。
その得ているモノは虚構や見栄だったんだろうな。
家族の健康考えて頑張っている私、みたいな。
お金を私の見栄のために使っていたら、そりゃあ嫌だわな。
でもさ、わかったんだわ。
88円だって幸せがある。
私にとっての幸せは高いお金を出したから手に入るわけではない。
そして、お金は幸せを運んできてくれるんだと。
だからそういう風にお金をつかってあげないと
お金が泣くし、
自分の心が疲弊する。
お金ちゃんは私の幸せを願っていて
そんな風に使ってくれると喜ぶんだって。
よくお金に感謝しようと言ったり
きれいに使おうというのは
そういうことなんだと思う。
人間だって大事にされたら嬉しい。
好きって言われたら嬉しい。
それだけで幸せになれる。
お金はエネルギーってそういうこと。
そしてお金にエネルギーを乗せるってそういうこと。
こうやって書くと「あやしい」という人もいるかもしれないけど、
わかる人にはわかる。
それにね結局、
自分が幸せだな~~~って感じてお金を使うことが大事なんだよね。
だって、自分の感じたもの、意識したことが
自分の世界になるから。
他人の感じたことは想像できても、それは自分のものではないからニセモノ。
他人の気持ちは他人のモノ。
だからこそ、自分のきもちは自分のモノ。
他の誰のモノでもない。
だから自分が「幸せ」と感じることをひたすらする。
お金の使い方も時間の使い方も。
うん、そういうことですわ。