ギフテッド教育について
WISCの勉強をしていると出会った「ギフテッド」という言葉。
ギフテッドって何?と思ったので、勉強してみました。
ギフテッドとは?
実は、世界的に統一された定義は存在しないようです。ただ、アメリカで1972年に議会に提出された「初等中等教育法、落ちこぼれ防止法」によると、
「ギフテッドとは、知性、創造性、芸術性、リーダーシップ性、または特定の学問での偉業を成し遂げる能力がある個人を指す。」とあります。
アメリカやイギリスなどでは、知能検査でIQが130以上あると、「飛び級しないか」と声がかかるようになり、(学校によってIQの基準は違う)一般的に「ギフテッド=天才」という認識が強いようです。
ギフテッドと発達の凹凸
アメリカやカナダの学校では、授業内容が学校内で統一されている所もあるようです。それによって、算数だけ飛びぬけてできる子は、算数の時間だけ上学年の教室へ行って勉強する、という形がとれます。
ギフテッドといっても、全てに秀でているわけではなく、算数だけ得意、国語だけ得意、音楽だけ得意、と特定の分野に秀でているわけなので、得意な教科を飛び級で学習できるのは、うらやましいですね。
では、日本ではどうでしょうか。
日本は「みんないっしょ」に学習をすすめる国です。個人に合わせて飛び級は用意されていません。
そして、このような発達の凹凸が起きることもあるようです。
・自分自身の能力が高いため、周りも同じように分かると思い込み、自分のペースで物事を進めてしまう。→わからない子の気もちを予想することが苦手。
・漢字は書きたいがひらがなは書きたくないというような、こだわり。
ギフテッドといわれる、IQの高い子の中には、ギフテッドゆえの発達の凹凸に悩んでいる子もいます。本人はさほど悩んでいなくても、担任の先生や保護者が悩んでいるケースもあります。
授業をしていても、だれよりも先に答えを言ってしまったり、漢字はあれだけかけるのに、ひらがなは「書きたくない」と言って書かなかったりしたら・・・
それは、先生や保護者は困ると思います。「わがままじゃないの?」と思うと思います。 ごもっともです。
だからこそ日本では「ギフテッド(天才)は、困った子、困らせる子」と認識されてしまうケースが少なからずあるようです。
では、どうしたらよいのでしょうか。
ギフテッドの親は何をしたのだろう?
「天才」と呼ばれる人たちは、実は子どものころからその才能に目を付けた親が、特別な教育をしている親がいます。
例えば、今人気のプロ棋士藤井棋聖。彼は子どものころ、「モンテッソーリ教育」の幼稚園に通っていたといいます。モンテッソーリ教育とは、簡単にいうと「自己教育力(自分で考え、自分で決める)」ことを主軸においた教育です。
「今は主流でない一手」で切り込んでいく藤井棋聖の将棋を見ると、自分で考え自分で決める教育が見事にマッチしたんだなぁ。と保護者の先見の目に尊敬します。
また、ピアニストの辻井信行さん。子どものころから聞いた音を正しく弾ける本人の才能を見抜いた保護者が、ピアノを習わせたことで才能が開花した、というのも有名な話です。
そのほか、海外でギフテッド教育を受けるべく留学する子どももいます。
しかし、大概の場合、「そこまでできない」のではないでしょうか。私の子どもが仮にギフテッドだとしても、そこまでできません。
そこで、こんなことはどうでしょうか?と提案です。
才能をのばすために、親ができること
親ができることは、漢検や英検、もしくはコンクールに出すことです。
漢字が得意なら「漢検」。算数が得意なら「数検」。図工や音楽が好きなら「コンクール」や「コンテスト」。
ギフテッドの子どもたちは知的好奇心が高いです。得意なことなら何時間でも夢中でそのことをやり続けます。なので、そこに「目標」を定めてみてください。
才能は、公の場で評価されて、初めて「才能」といわれます。
趣味でどれだけすごいものを作ったとしても、それを発信しない限りはその才能は認められることはありません。
ちなみに、私のところに療育で来ている子どもは、「ことわざ」に興味がありました。そこで調べてみたら、「ことわざ検定」というものもあるんですね。試しに9級と10級のテキストを渡してあげたら、寝る間を惜しんで勉強しているという話。その知的好奇心、うらやましい限りです。
好きなことをどんどん勉強することは、キャリア教育にもつながります。得意を仕事にするためにも、ぜひ、まずはコンクールに挑戦するところから、一緒にはじめてみてください。
才能をのばすために、先生ができること
学校という教育現場では、さっと解けてしまう子もいれば、ゆっくり時間をかけて理解したい子もいます。そんな中で飛び級もない日本で先生はギフテッドのような天才児に、何をしたらよいのでしょうか?
今やテレビで見ない日はないほどの人気な、東大出身の松丸亮吾さん。彼は、学校の教科書の問題はつまらない!ぼくならもっとおもしろい問題が作れるのに!と言って小学生のころから問題作りを楽しんでいたようです。
彼にそのような時間を許してくれた先生も素敵だなぁと聞いていて思いました。
これからの授業は「アクティブラーニング」が主流になってくると思うので、授業の形態も変わってくるとは思いますが、この松丸さんのような「問題作り」というのは、ひとつギフテッドの子どもには有効なのではないかと思います。
問題を作るには、思考力が必要となります。また、クラスの子が解けるように周りを見る力も必要となります。クラスの子が作った問題を掲示していつでもみんなが解けるような状態だと、習熟度に合わせてそれぞれが取り組めるような気がします。
アクティブラーニングの中で
・ミニ先生になって、みんなのために教えることをがんばる子
・みんなのために、勉強の内容を理解することをがんばる子
・みんなのために、問題作りをがんばる子
・みんなが集中できるように、しずかにもくもくと問題に取り組む子
など、いろんな役割の子がいたら、ギフテッドの子も自然と社会の役割の中に溶け込めるのではないかと考えます。
ルールは明確にする(授業のユニバーサルデザイン化)
「手をあげて、当たってから話す」のような明確なルール決めは、「合理的配慮」の面で必要です。
そのルールが定着するまでは大変かと思いますが、ルールを無視した子どもの発言はひろわないように、きちんと手をあげている子どもの意見をひろうなどして、「先生はルールを守りたいよ」というメッセージを発信することも大切かと思います。
集団生活には必ずルールが存在します。そのルールを明確にすること、これも掲示することで、いつでも意識しやすくなるかと思います。
まとめ
今回「ギフテッド」という言葉を知って、勉強してみて分かったことは、これはギフテッドの子どもだけに限ったことではなく、全ての子どもに必要な意識なのではないかと思いました。
中学三年生になってから、初めてキャリア教育をするのではなく、もっと早い段階で興味をもったことに全力で取り組むことで、自分にはどんなことが合っているのか、どんなことを仕事にしたいのか、が見えてくると、必然的に「勉強する意味」につながってくるように感じます。
今、私の娘は5歳にして、「ペットと入れるケーキ屋さん」への夢を語っています。まずは今度一緒に、ケーキ作りをしてみようと思います。
「千里の道も一歩から」。行動にうつして、人生を楽しみたいですね。
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