ライフハック?! 〜ちゃったにまつわる話 [エッセイ]  

 「買っちゃった」という言葉が好きだ。広くいうと「ちゃった」が好きなわけであるが、それは恥じらいだとか、後悔、客観視すると「バカだな〜」みたいなニュアンスを持ってるからだ。
 「食べちゃった」可愛い響きだ。太るもの、健康的でないジャンキーなものを食べたわけである。誰も「サラダ食べちゃった」とは言わないわけである。

 そもそも消費活動に意識的に意味、合理性を導入するものでもないわけで、「買っちゃった」に括られるようなものでなくとも、時に「買っちゃっている」のである。意識と無意識が働いてそこの境界は引かれるのだが、それは本題ではない。
 購買の楽しみを最大化させるもの。それは「衝動買い」なわけだ。合理性は省けば省くだけ楽しい。代償にちょっとその取り分を持っていくだけだ。
 
 書店が好きでよく足を運ぶ。普段は嫌いな蛍光灯の明かりも悪くないなと感じられる書店。読みたい本など無限にあって、その書籍数と種類の多さに彩られてテーマパークのように楽しんでいる。読みたい本というのは事前にいくつもあるが購入する事は滅多になくていつも本能頼りである。本能で選ばれた精鋭達からさらに絞り込んでようやく購入する。勝ち上がれなかった候補者達にもどうかか拍手を。そう念じて店を出るわけだ。
 再度来店する。そうすると別の大会が開かれるわけで、前回の敗者達が視界から外れるのだ。不思議なことに。
 吸い寄せられる「衝動買い」。こうして購入した本はいつも楽しい。私の本能、直感は優秀だ。もしかしたら書店の巧みな技かもしれない。リップサービス一つで仕事が貰えれば儲け物である。

 Ipad-かの有名なAppleのタブレットだ-を前に買った。値段が張るわけで計画的に資金を積むわけだが、まあ時間がかかる。そうすると考える。『これを手にして本当に絵を描きますか?』答えは『そのために買うんでしょ?動画も見れるし、綺麗なら後でそこそこの値段で売れるよ?』と。そんな具合の自問自答の展開。そしてこの答えは私の声をした世論でしかなく、この頃とっくに買う気などは失せている。失せているのに買うわけだ。
 自分で引いたレールから外れそうになるのを、魅力を感じていた要素、魅力を感じなくなった要素に支えられながら、軌道修正をしてゴールに向かうわけだ。直線の道だ。山ではない。登りきった達成感も、見下ろす街もそこにない。それこそ『買っちゃった』なのである。可愛くもなくて、ただ純粋な後悔しかない「買っちゃった」である。正当化のプロフェッショナル、ここにあり。(今でも大事にIpadは使っています)

 こうしてみるとワード単体よりか大事なのは音声の方なのであった。
 でも暗い音声でも「ちゃった」には場を和らげるだけの力はあるはずである。
 例えば叱られる時。会議の場所取りとその連絡を前日までにしなければならないが、ソファでうたた寝してたら、青空で鳥がチュンチュンと。なんでもいいが、出社すると目の前に怪訝な形相が迫る。『なぜ報告しなかったんですか?!』と。そしたら『昨日眠くて寝ちゃった。ソファで…』と。
 あまりにも幼稚だ。ビジネス向きではない。でも言ってしまえば意外と実用的かもしれない。生意気な後輩は可愛がられるものである。用法を守って是非使ってみてほしい、度胸のある方は。そんなマジカルワード「ちゃった」の話。

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