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生きている。

「ケガをしました。」

夜ランニング中に大転倒。コンクリートだったので受身不可、ただただ重力に従うのみ。左半身に大ダメージ。

自分診察ではおそらくスリ傷程度だけど、油断はせず明日も足痛かったら病院に行きます。
まるで子供の時のようなケガ、痛かった。

すぐさまコンビニに行き包帯やガーゼを探すも無し。仕方なく家にあった絆創膏を何枚も重ねて貼る。お風呂の水がシミル。食器洗いの水がシミル。

とりあえず、食って寝れば治る!!33歳にもなって、こういうところは超テキトー。
いつもより栄養価高めの夕飯にした。
食べて、すべてを、血肉にする。映画ルパン3世カリオストロの城の1シーンのように、食べる、食べる、食べる。喉を詰まらせる。次元に呆れられる。みたいな感じで、、、、

今noteを執筆しながらも痛みがある。

でも

なんか

嬉しい。

痛みが

嬉しい。

ドM?

はい。

ドMです。

いや、そんな話じゃくて

痛みを感じることで
今をしっかり生きてるなあと
実感できるんです。

先週、先々週、仕事とお酒依存で

メンタルがどん底まで落ちた。

朝起きることができなくなった。

会社のトイレに逃げて、うずくまった。

あの日の'痛み'に比べれば

今日転んでケガした痛みなんて

痛みでもなんでもない。

生きていることを実感できる喜びだ


人それぞれ喜びや感動、生きがいは違う。


ゲーム、酒、本、掃除、睡眠、夜の店、大食い


快楽のカタチは人それぞれ。


しかし出発点、媒体、オーガニックデバイスは

みんなおんなじ。

みんな人間。

みんな動物。

みんな細胞。

転んだら痛いし血が出る。

走ったら暑くて汗が出る。

悲しい時は涙が出る。

そういう点ではみんなおんなじ作り。

カラダは自然と反応する。

それは、わたしたちのカラダが

’生きようとしているから'

カラダが反応すること。

カラダから何かが出ること。

それらは生命からの信号、合図だ。

必死に生きようとするカラダからの声。

仕事、家庭環境、人間関係、金、恋愛、健康。

生きるうえで色々な声が聞こえてくるはず。

カラダから。

その声を無視しないでください。

病院、メンタルクリニック、友達、家族、
恋人、スタバ、サンイーター、、、。

相談する人、場所はたくさんあります。

使いましょう。

カラダからの声を無視し続けると、
必死に生きようとしていたカラダが

生きることをやめようとするから。


ランニング中転んでケガをした
手のひらの傷から、声が聞こえます。

「ランニング頑張ったな!!」

「よく今日お酒我慢して筋トレしたな!!」

「33歳なんだから無理すんなよ!!」

わたしの傷、ありがとう。

この傷が癒えたら

わたしはまた少し

成長するはず。

おわり

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