不潔なら過去が怖く、清潔なら未来が怖い??

ホラー映画『悪魔のいけにえ』(1974年、米)をやっと観た。
というのも、この作品に登場する殺人鬼レザー・フェイスを、多くの人が『13日の金曜日』のジェイソンに「シェーンの誤謬」している可能性が高い、と聞いたからだ。
シェーンの誤謬とは、人々の記憶の中で物語が変質する現象のことであり、すんどめパターソンが提唱している概念である。
これについては拙著『シェーンの誤謬』に詳しく述べているため、ぜひそちらをダウンロードの上、ご一読頂きたい。
ともあれ『13日の金曜日』のジェイソンを思い出すとき、電動のこぎりを持った覆面の男として多くの人がイメージしてしまうのだが、なんと同作にそのような電動のこぎりの場面は、全然ないのだそうだ。
いっぽう『悪魔のいけにえ』のレザー・フェイスこそが、まさに電動のこを縦横に振るってバッタバッタと人々を殺める覆面の殺人鬼であるため、恐らく多くの人が両者の記憶をごちゃまぜにしてしまっているのだろう、とよく言われるのである。
「シェーンの誤謬」の提唱者としては、これは見逃せない、という動機で観たのであるが……

それはともかく、『悪魔のいけにえ』は2つの点で非常に興味深い作品であった。
記憶が生々しいうちに、そのことについて書き記しておきたい。

1点目として、これは「怖い話」というよりも、「怖がっている人の話」だ。
むろん、怖い映画ではある。
背筋も凍らんばかりに恐ろしい場面、ないではない。
が、それ以上に、怖い目に遭っている人を主人公にした〔どこまで人は怖がれるか物語〕であるという印象を第一義的には受ける。
実に、興味深い。
さんざん怖い目に遭うヒロインが、その常軌を逸した恐怖によって、ある精神状態の極限へと、死刑台の階段のように引きずりあげられてゆく。
そのときの彼女の精神状態を、怖がり方を、どう描くか。
実はこの作品、彼女の眼の動きによって表現しているのである。
極端すぎるズーム・アップによって、その異常としか言いようのない眼球の動きを追う。
あまりに独創的な映像であるため、視聴者は恐怖を忘れて見とれてしまう。
戦慄する人間の心理というものにあれほど肉薄し、あのような手法で描写した作品を、すんどめは他に知らない。

言い換えれば、やはりこれは、すんどめにとってそれほど怖い映画ではなかった。
怖がっている人の話ではあっても、怖い話という印象は、期待に比べれば薄かった。
たとえば、やはりどうしても、「汚い」映画という印象を受ける。
これでもかというほど散らかっている謎の部屋。
人間のものとも牛のものともつかぬ、小さな骨のおびただしい破片。
散乱する羽毛。
飛び回るハエ。
なんとも不潔感がぬぐえぬ。
いや、いわゆるゾンビ映画やスプラッタ映画に比べれば、ずいぶん綺麗なほうなのであろうことは想像に難くない。
しかし、である。
やはりすんどめがホラーと聞くとき、連想する絵はことごとく清潔なものばかりである。
ここに、日本人の思う恐怖とアメリカ人の思う恐怖との大きな違いがあるのかな、と思う。
日本人にとっての恐怖とは、雪女といいお岩さんといい、清潔で美しいものばかりである。
なるほどお岩さんの場合は、気の毒にも顔面の一部が醜く腫れ上がってはいるが、かといってそれがわれわれの内部に催すものは、果たして不潔感であろうか。
日本人はそもそも幽霊のことを、異音と異臭を放つグロテスクで不潔な存在と思っているだろうか。
むろんフィクション上の幽霊である以上、恐ろしく、不気味で、冷たいものではあるが、同時に必ず美しく、鋭く、静かで、また清潔なものである。
むしろ清潔で静謐で美しいからこそ、研ぎ澄まされた刀のように恐ろしいのではないだろうか。
幽霊というのはあくまで例だが、そもそも怖いものを見たいとき、そこに不潔感など必要だろうか。
物音ひとつしない畳の間の、永久に沈黙した床の間。
その隣にある押し入れの、半開きになった襖。
その奥の暗闇にひそむ静かな気配。
木造家屋の廊下の暗がり。
和式の便所。
たんすの上の、物言わぬ日本人形。
布団を敷いて仰向けになれば目に飛び込んでくる、人の顔のような形をした、天井の木目のうねり。
それらが恐怖を発するには、電動のこぎりのにぎやかな騒音や、とっ散らかった骨片や、腐った生ゴミが必要だろうか。
否。
恐怖に不潔はいらないのである。
2015年の日本映画『残穢 ―住んではいけない部屋―』は、そうした清潔な恐怖をものの見事に具現化してくれた作品であった。
こうした恐怖の性質は、果たしてジャパニーズ・ホラー特有のものでしかないのか。
このことを改めて考えさせられたというのが、『悪魔のいけにえ』を観て2つ目に興味深かった点である。

さて。
友人の通称「人間シンクタンク」に以上のことを告げたところ、
「ああ!
その清潔な日本的恐怖って、これから何かが起こるんじゃないかっていう恐怖だよね。
いっぽう『悪魔のいけにえ』に見られるような不潔な恐怖って、過去に何かが起こったんじゃないかっていう恐怖だよね。
この散らかった部屋で、いったいどんな恐ろしいことが行われたんだろう、っていうね」
この指摘、見逃せない。
アメリカン・ホラーは過去への恐怖。
ジャパニーズ・ホラーは未来への恐怖。
なのだとすると、ますます興味は尽きない。

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