心に残っている何か
人の死に慣れちゃったな。
そう感じるようになったのはいつ頃からだろうか。
息を引き取った患者さんを見ても。その傍で泣くご家族をみても。心動かされなくなってきた。
自分の心はこんなにも冷たかったっけ。
一般病棟にいた頃は。患者さんとお喋りしてその人柄や考え、それまでの人生、家族との距離を感じ取ることができた。患者さんやご家族からの感謝や労いの言葉をかけられたり。時には罵声や暴言を吐かれたりしたこともあった。
退院を見届けて。そんなに時間も経たず入院してきて。そうして何度も入退院を繰り返す患者さんの「また帰ってきちゃった」という、気恥ずかしそうに話す隠しきれない照れた表情に。"可愛いな" 。そう感じたことも度々だった。
がんの終末期に自らホスピスを選んだ患者さん。死を受け止めたその選択を周りの誰からも理解されず、困惑の中にいたその方の話を聴いて。「あなたに会えて良かった」。そう言いながら深々とお辞儀をして、歩いて転院していった。
「こんな俺なんかの話聴いてくれていい奴だな!おめえ甘いもん好きなんだろ?退院したらなんか買ってくっからよ!何がいい?いや忘れねぇよ!こんななりでも義理は通すんだ」と話していた患者さん。一週間後に急変して亡くなって。その方との果たされなかった約束をいまでも覚えている。
面会にくる人が誰もいない患者さんもいれば。面会にくる人が絶えない人もいる。
とある患者さんを看取ったとき、その傍から離れず代わる代わる付き添っていたご家族。患者さんが亡くなってしばらくしてから、わざわざ御礼をしに来てくれて。「大変良くしてくれてありがとうございました」と。患者さんの面影が残るそのご家族たちに深々とお辞儀をされたときに。ああ、この人たちは愛されてきたんだな。そう感じた。
正の感情か負の感情かに関わらず。一般病棟で働いていたころは。患者さんやご家族とのさまざまな絆やエピソードがあった。だからこそ看取りの時には悲しかったし、ご家族の悲嘆に涙したり心が押し潰されそうになったこともあった。
ところがいまの部署では。急変して運ばれてくるときには、意識が悪くなっているか、苦痛すぎて話せないまま早々に人工呼吸器などの機械に繋がれて声を発せなくなるか。
患者さんとの絆を持つことが極めて難しい状況であり。ご家族は悲嘆に暮れているか泣いているか、無言でいるか。どう話しかけたらいいんだろう?そう感じるまま何も出来ないまま終わることもしばしばで。
患者さんとのエピソードどころか。どんな人か知る間もなく。初めましてから心臓が止まるまでわずか30分もないということもあった。いや。心臓が止まってる状態での初めましてで、そのまま看取りになるケースですら多々ある。辛いと感じる暇もない。
ご家族が泣き叫んでいても悲嘆に暮れていても。特に心動かされることもなく淡々とケアをして書類を整えて。退院に向けての連絡調整をして。無言になった患者さんを病院の裏口から送り出す。
人生の終焉を見届けたあの人はどんな人だったのだろう。遠ざかる車を見送りながらそんな考えが頭をよぎる。
なんか。むなしいな。
高度な医療を提供して、専門的な知識をもとにスキルを駆使してはいるものの。なんか。人間性を失っている気がする。
いまの自分は。患者さんを、人を、人間として見れているんだろうか。ちょっと疲れたな。
そんなわだかまりを感じつつ。心に残っている何かになんとなく力を取られながらも。淡々と過ごしている毎日の。そんな日に。
こんな動画を見つけた。
事故か事件か病気か。分からないけれども。どれくらいの時間が経ったのか。分からないけれども。亡くなった家族への熱い思いや感情が伝わってくる。思わず、涙した。
そうだよな。泣いたり叫んだり押し黙ったりしていたとしても。亡くなった患者さんへこ家族の想いがたくさんあるんだよな。あるはずなんだよな。
亡くなった患者さんのことを全く知らないまま見送るとしても。亡くなってから見送るまでのわずかな時間で。ご家族の想いをどう汲み取り、何ができるのか。
考え続けていこう。
上手くいかなくても。考えることに意味があるのかもしれない。そう思った。
ちょっとだけ。
元気がでた気がした。
だて。
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