距離感
夏のにおいが街を覆うころ。人々が行き交うようになった街角。
店には人が溢れ。客と客、客と店員を区切っていた仕切りは取り除かれ。
長らく開かれなかった地元の祭りでは屋台が立ち並び。多くの人が口を大きく開けて笑いそして美味しそうに食べている。
入職してきた新人たちの集合写真も。マスクを外して撮影されていて。
これが日常だったっけ。そんな戸惑いにも似た疑問が頭を駆け巡る。
マスクを取って初めて。ああ、この人はこんな顔をしていたのか。そう思うことが多くなってきた。
感染症が広まる以前は当たり前だった人との距離を。なぜか近くに感じる。3年という短いながらも濃密な時間は、人との距離を遠ざけてしまったかのようだ。
一抹の寂しさを感じる自分に気づく。
以前より近しく感じるはずの人との距離を。ようやく戻ってきた日常を。なぜ寂しく感じるのだろう。
法律における分類が2類から5類へと変更され。店のアルコール消毒に手を伸ばす人は日々まばらになっていく。
ニュースでは有名人のスキャンダルが賑やかしいものの。クラスターが発生しても取り上げられる時間は極端に少なくなった。
あれだけ猛威を振るった感染症を過去のものにしようという流れを感じる。
そっか。
忘れられていくのが寂しいのだ。そう気づく。
いろんなことがあった。
ICUの窓によじ登り、窓から母親を看取った男性の話がネットを賑わせたのは2020年7月のこと。
今から思えば2020年はまだまだ序の口で。ほんとうの意味で猛威を振るうという言葉が相応しいなと感じるようになったのはそれから1年以上もたったころ。
人工呼吸器は当然のごとく、さらにはECMOと呼ばれる人工の肺が当たり前のように使われ始め。けれど肺は良くなるどころかパリパリに硬くなり。亡くなる人が激増した。
真夏の時期には。汗が手袋にたまり細かい処置には難儀した。防護具が暑すぎて熱中症にも何度かなった。
先のニュースのように。家族は窓越しに看取ることが多くなった。息を引き取っても直接触れることができなくなった。それが日常となってしまった。
ガラス戸越しに。か細い心臓の動きが徐々に止まっていく様子を。ただただ無言で眺めていた母子の姿が目に焼き付いている。
管だらけになった家族を見て泣き崩れた女性もいた。
看取りに立ち会えないゆえに怒りを露わにして怒鳴り散らした男性。父親が息を引き取るのをガラス戸越しに見届けたあとは嘘のように礼儀正しく謝罪とお礼を述べて去っていった。
世界を股に掛けた暴風のような感染症は。まだまだ生きたかもしれない何百万という命を奪い去り。それ以上の悲嘆と涙を生み出した。
当初は医療従事者を応援する空気感が占めていたのにも関わらず。パンデミックが長引くにつれて辛さやストレスを抱えた人たちの医療従事者への怨嗟の声が高まっていく。そんな中で。
日本では2023年5月に感染症の対策が緩くなった。それから一気に、この感染症が忘れ去られたかのような雰囲気が生まれ始める。
それに寂しさを感じるのは。きっと。自分たち医療従事者の経験したつらさが評価されないということよりも。亡くならなくても良かった人たちの記憶が追いやられていくような感じを受けるからだろうと思う。
たぶん。街を行き交う見知らぬ人たちも。日常に戻ったかのように平然と歩いているとしても。心の奥底にはそうした悲嘆を抱えている人が多くいるだろう。
そんな彼らの助けになることはできないし、そうしようと思ってもただの余計なお世話になることは目に見えてる。
だがしかし。あの日々はなんだったのだろうという考えが消えない。
3年という時間から我々は何を学んだのだろう。何を得たのだろう。そう思い巡らすのだけども。失われたもののほうが圧倒的に多いように思う。
気のせいかもしれないけれども。街を歩く人たちはさらに他人に無関心になっているように感じる。物理的な距離は元に戻っても。心の距離は離れたままのように感じる。
さまざまに感じる距離感に寂しさを覚えながらも。
自分が得たものについても思考を巡らす。
他と切り離された隔離病棟の孤独感、孤立感の中で。先輩たちや医師に迅速に頼れない環境の中で。
自分で考えて判断して介入していく能力。より効果的なケア介入とそのためのスキル。医療機器の取り扱い・管理する力。それらは確実に育まれただろうと思う。
それらはすべて。あの隔離された空間で共に過ごした患者さんたちのおかげでもある。亡くなった多数の方のお陰でもある。
そういう思いがあるからこそ。あの感染症を忘れようとしている世間の空気感が異様に寂しいのだろう。
せめて自分は。ありがとうの気持ちを込めて。
亡くなられた彼らの記憶を。世界の何百万という命への哀悼も込めて。このnoteと共に残そうと思う。
だて。
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