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幸い住むところ
これは南アルプスの写真です。地元では「赤石山脈」と呼ぶ人もいます。
長野県の南に位置しているこの三千メートル級の山々は、何万年もの大昔は海底だったそうです。地殻変動で海底が隆起して海水から出てきて、そのあとどんどん高くなって遂に山になってしまったという地形をしています。
だから、その名残で山の中で塩の摂れる場所があったり、貝の化石が埋まってる地層が今でもあります。わたしも中学生の頃、化石が見える場所に理科の授業で見学に歩いて行ったような記憶があります。(うろ覚えなんですが…)
地球の過ぎた時間が積み重なって出来ているところが魅力で、地層や石や鉱物は好きなものの一つです。
長野県の南部は南アルプスと中央アルプスに東西が挟まれて、南北を天竜川が流れいて「伊那谷」と呼ばれています。平地は少なくて、本当に山の斜面というか谷の地形になっています。
そして大昔から飲める水と山の恵みが豊かにあったので、縄文時代にはすでに村や集落があって、やがて農耕だとか養蚕が行われて発展していって今も農業中心に人々が生活を営んでいます。
ここの土地には狭い地形なんだけどなんだか独特のゆっくりな時間がある気がします。それを時代の流れに置いていかれるようだと言って嫌がる人もいるけど、私は伊那谷のゆったりした時間の流れがすごく好きです。
太古からの時の流れが今でも風土に残っているのか、自然の変化に従って生きる縄文時代の遺伝子の感覚が呼び起こされるのかどうかわかりませんが、南アルプスの風景を眺めていると、自然に還っていく感覚があって、その感覚に吸い寄せられる自分がわかります。
万単位で変化する時間と、年単位で廻る季節の時間と、人の時間が伊那谷は妙に調和しています。
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山は心理にもに作用するそうです。山は壁とか試練とかの厳しいイメージと泰然としている様子から安泰、護られているというイメージがあって、信濃の人は、山を越えて都会に出て新しい場所に行く選択をする人と、変化を求めず山に囲まれた場所に残る選択をする人とに分かれるといいます。
山のあなたの そらとほく
さいわひ住むと 人のいふ
ああ われひとと とめゆきて
なみださしぐみ かえりきぬ
山のあなたの なほとおく
さひわひ住むと 人のいふ
中学生の国語の授業の時に、教科書のカール•ブッセの「山のあなた」を暗唱していて、文学をこよなく愛する国語の先生が目をつむって、歌うように声を振るわせながら文語体で詩を朗読して、最後にいつもひと言「あゝ、良い詩ですねえ」と感嘆する姿が忘れられません。
教室の窓から山々を眺めながら、自分もこの先、ここを離れて、ここではない何処かに幸せを見つけにいくのだろうか?と思ったものです。
結局、私は違う世界も見た方が良いなと考えて、高校卒業後は伊那谷から出て県外に進学したものの、やっぱり信州が好きで離れられず、戻ってきて、少し離れた場所に住みながら、時々田舎に戻る選択をした人間です。
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最近はリニア線の工事で山を掘っていて、何年後かには東京方面にも名古屋方面にも行きやくすなるから、通学や転勤も通えるようになるかもねー、なんて話題も出ます。
そうなったら、人の生活も山の生態系も景色も今とは変わってしまうんだろうな。
そう思うけど縄文時代の人が見たアルプスと、江戸時代の人が見ていたアルプスと今、私が見ているアルプスの風景はきっと違っているし、そうやって変化していって、未来の伊那谷の人が見るアルプスはきっと違うんだろう。
みんな流れるように変化していってしまって元の姿もわかんなくなっていってしまう。
でも、きっとそれで良いんだと思う。
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信州は太陽が山に沈むので夕暮れも早いのですが、日没時刻は午後5時を過ぎるようになりました。こうして少しずつ信州に春が近くなっています。
過去、現在、未来ずっと変わりながら変わらない存在が感じられるところ
信濃の国 南信州 伊那谷は幸い住むところ。