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餅つき

私が生まれ育った実家は、祖父の代まで農業で生計を立てていた家で、主に米を作っていました。
父はサラリーマンになったので、その後は兼業農家ということになり、やがて売ることもやめてしまったのですが、それでも私が地元にいた間はまだ多くの田んぼがあって、自分達と親戚が1年間食べる分のお米ぐらいは作っていました。
住んでいた家も、時代と共に少しずつ改装されていってはいましたが、茅葺屋根で炊事のための土間も残っている、今で言う古民家でした。

そして、その家の広い土間で年末になると行われるのが餅つきだったのです。

蒸篭で餅米を蒸して、祖母が『よいしょ!』っと臼の中に放り込みます。まずは捏ねる作業からです。父がよく水分を含ませた杵を手に、臼の周りをぐるりと回りながら、へりに擦り付けるようにして餅米を潰していきます。とても規則正しい動きで、何か機械仕掛けのようだなと思いました。
そうして、だいたい潰せたら、いよいよ餅つきの開始です。
大きく杵を振りかぶったかと思うと、ドスンっという地響きのような音と共にパアン!と軽快な音が土間の中で響き渡ります。祖母が手水をつけて『ほい!』と言って餅を返します。

パアン! ほい! パアン! ほい!

私は、祖母の手が挟まれるんじゃないかと思ってドキドキして見ていました。やがてお餅がつきあがると、今度は餅取り粉をまぶしたのし板の上に祖母がドンっとのっけてくれます。それを母が持っていって、今度は丸める作業です。
『あつっ、あつっ』と言いながら、程よい大きさにちぎっていって、手のひらの上でまあるく丸餅にします。私も見様見真似でやったりしたのですが、つるりとした丸餅にはならず、なんかデコボコした変な形の餅にしかなりませんでした。でもそれもまた楽しい。

とにかく、父も母も祖母もどこか楽しそうで、幼い私にとってその全ては心が温かくなる光景でした。

少し残念なのは、私が8歳の頃から父は病に侵されて、その後若くして他界したので、私の記憶に残る楽しい餅つきの思い出がこの時ぐらいだったことです。

先日、生まれて初めて餅つきをしました。

古くからの友人が誘ってくれて、彼の住む街でやっている餅つき大会にお邪魔して来たのです。
最初の餅米が蒸し上がった時、『さぁ、誰から行く?』と声が掛かったので早速手を上げました。
まずは捏ねる作業です…が…なんと重い!米の粘りで杵を引き上げる時にもなかなかの力が必要なのです。とてもじゃないけど規則正しい機械仕掛けのような動きなんてできません。
そして、つき始めてみると…

べた…、ばち… …あれ??

あのパアン!という良い音が出ません。
『ほらぁ、どうした!』と発破をかけられて、もっと力を込めたりしますが、なかなかうまくいきません。どうやら、打ち付ける瞬間の力の集約され具合や、角度が大事なようです。
そうして、やっと後半パアン!という音が数回出せましたが、その頃にはもうクタクタ…。

餅つきって、なんて重労働なんでしょう。

そう思うとともに、お餅ってやはり特別な食べ物だなと感じていました。
日本では、お正月や何かの行事の時にお餅がふるまわれます。
きっと、いろんな祈りを込めて餅をついたんじゃないかと思うのです。

あの日、父はどんな祈りを込めて杵を振っていたのでしょう…

今、私の肩の筋肉痛がそんな問いを投げかけています。

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