日本の分娩の未来を考える

6月28日に上記の題でウェブのセミナーを開催したのですが、その際の発表原稿を置いておきます。
スライドに合わせてこれを読んだ・・・のではなく、アーカイブが出たら視聴して頂くとわかりますが、元の原稿が跡形も無いレベルに喋りまくってますので、せっかく書いた原稿を弔う意味でここに置いておきます・・・何やってるん・・・自分。。。

アーカイブについてはこちら(有料です)

合わせて見てもらえると、あまりの原稿の原形留め無さに失笑されるかもですが、恥を忍んで・・・

◎6月28日 発表原稿


 本日はお集まり頂いてありがとうございます。今回は「日本の分娩の未来を考える」という題ですが、私は最近話題になっている分娩費用の面からお話しをいたします。スライドの枚数が多いですので早速いきたいと思います。スライドをご覧ください。


 最初に自己紹介です。私は長野市で産婦人科を開業しています。皆様にご紹介するような業績は何も無い、しがない町医者であります。ただまあ、スライドにもあるように、第二次大戦後から長野市で祖父−父−自分と三代にわたって産科開業医を営んできましたので、歴史だけはそれなりにあります。加えて実は曾祖父が初代で、自分は四代目にあたります。我が家のファミリーヒストリーはそれなりに興味深く思っていますが、それは今回は別の話ですので割愛いたします。


 まず、分娩の費用を考えるに当たって、分娩についての歴史的な経緯をざっと振り返ります。各種の資料に加えて我が家に残る写真や父から聞いた話などで自分が知っている範囲での話になります。


 まず、分娩が行われていた場所ですが、スライドにあるように1950年代までは自宅に産婆さんを呼んでの分娩が一般的でした。その後、産科診療所・病院といった医療施設での分娩に移行していき、1980年ぐらいまでに自宅分娩はほぼ無くなります。以後は診療所と病院でだいたい半々といった感じで推移しています。


 自宅分娩から医療施設での分娩に移行していくことで、出産に関わるスタッフ数も増加していきます。祖父の代は分娩が順調に進行しない場合に産婆さんからの連絡で医者が鉗子を持って自宅に赴いて医療介入を行うといったスタイルであったりしましたが、父の代には産科診療所を建築して、そこで分娩を行うようになり、助産師や産科看護師などがスタッフとして増えました。加えて給食のスタッフなども増えています。

 周産期医療の歴史を顧みると、1984年に東京女子医大病院に母子総合医療センターが創設され、新生児集中治療室=NICUが設置されます。その後、1996年に厚生省から周産期医療体制整備指針が出て、各地に総合周産期センターが設置されることになります。この時に母体胎児集中治療室=MFICUも設置され、周産期医療という概念が広く浸透すると同時にその高度化が進行することになります。

 1996年は自分がちょうど医師になった年ですが、当時入局した信州大学医学部附属病院では病棟の新築と同時にNICUが新たに設置された時期でした。そしてその4年後には長野県立こども病院に周産期センターがスタートしています。


 このように分娩に関わる医療の高度化がまずは分娩費用の上昇の大きな要因であったと考えます。スライドに示したように診療所レベルであってもスタッフ数の増加や資格の高度化、医療安全に関わる機器や備品の増加などで費用は増大してきました。また、コロナウイルスのパンデミック以降、感染対策もこれまで以上に必要となり、それに対する費用も増加しています。また、出産する女性も今では大半が個室を希望するなど、そういう面での費用増加もあります。ちなみに個室についてですが、今、出産する世代は多くは子どもの頃から個室を与えられて成長してきた世代ですから、入院に当たって個室を希望するのはむしろ当然であろうと思います。


 次に、現在の周産期の現状を図示します。現在はスライドに示したように一次―二次―三次施設が連携することで母子の安全を確保する体制になっています。逆三角形なのは施設の数で考えた場合、ということになります。またこの階層は親亀の背に乗る子亀のような関係性であり、周産期医療は親亀となる高次施設無しでは成立しなくなってきています。よく地方で「我が町で分娩が出来なくなる!」という話が出てきますが、その際、一次施設のイメージのみで分娩施設が語られることが多く、高次施設の概念がすっぽり抜け落ちていることがしばしば見受けられます。周産期医療に携わっていれば当然ですが、高次施設のバックアップ無しで一次施設のみで分娩を行うというのは現在ではもうあり得ない状況です。また、一次施設に於いても自分の父の代では一人で産科診療所を開業するというのが当たり前でした。地域医療を担っていた地方の公的・準公的病院でも「一人産科医長」というのがしばしば見られ、長野県でも自分が入局した1996年の頃にはそういう病院に医局から医師が派遣されていました。しかしこれは2004年の福島県立大野病院事件で無くなることになります。このあたりも話すと長いですが、今回の件とは別の話になりますので終わりにします。


 ちなみに日本の周産期医療は現在世界でもトップクラスですが、この数字が極めて低い値にまで到達したのは1990〜2000年代にかけてのことで、これは新生児医療の発展に依るところが大きいと思っています。実は自分が生まれた1970年前後、いわゆる団塊ジュニア世代ですが、この頃はまだ妊産婦死亡率や周産期死亡率は結構高いのですよね。そういうデータも案外知られていないのではないかと思います。

・・・脱線はこのぐらいにして・・・


 今回のテーマである分娩費用を計算するとき、このように多彩な施設で分娩が扱われているという背景があり、どこをベースに「妥当な分娩費用」というものを計算するのか、非常に難しい物があります。加えて分娩が産婦人科の売上でどのぐらいの割合を占めているどうかや、建築や運営に公金投入が有る/無い といった面もあります。従って今回は自分の施設をベースに「分娩を収入の中心とした産科有床診療所」での分娩費用についてザックリとまとめて簡素化して計算してみます。正直、細かいところは突っ込みどころが満載ですが、その点はご容赦をお願いします。


 まずは施設の建築や設備に必要な金額を計算します。この金額が大きく、結果として初期投資が非常に多額になるというのが分娩施設の特徴でもあります。産科では「ミニマム開業」というのは難しく、どうしても重装備開業になり、結果として投資の回収に非常に苦労するということになります。今回は15年で投資を回収するという設定にしています。医師が開業するのが40歳過ぎと考えると、15年程度で回収できないと年齢的に大変かなと思いますし。

 金額は自分が産科病棟を改装したときの金額をベースに考えています。数字についてはスライドをご覧ください。建築費はやや高いかなと思いますが、この数年、建築費用が高騰しているという話しも聞きますので、この金額で設定しました。


 次に運営にかかる費用について見ていきます。医療施設において最も多くを占めるのは人件費ですが、そちらについてそれぞれの職種で計算しています。これをX(旧ツイッター)で書いたときもそれぞれの賃金について高い/安いというツッコミが多数有りましたが、その辺はあくまで簡易的な計算ということでご理解をお願いします。見て分かるように看護職に関する費用がもっとも大きくなります。これは24時間対応という産科医療の特性により、常に夜勤者を確保する必要性から来るものです。夜勤者数も父の代は一人夜勤でしたが、今のスタッフは複数夜勤で無いと「一人では怖い」と言います。もちろん医療安全上も複数夜勤の方が好ましいですが、その分人件費が増大しています。


 その他の費用としては水道光熱費や分娩等で使用される物品、電子カルテなどの費用を含みます。最近では電気代の高騰により、この費用も増大していますね・・・。


 こうした費用の合計から外来収入・・・これもザックリの計算ですが・・・を差し引いて、残りを分娩からの収入で賄うとして分娩費用を算出してみました。分娩1件当たりの費用は当然ながら分娩件数によって増減します。そこから計算した費用を表にしてみました。

 数字としては厚労省がよく引用する「各都道府県の分娩費用の平均値」・・・これは全国平均でだいたい48万ぐらいだったと思います・・・、あるいは先日公開された「分娩費用の見える化」で公開されている各施設の分娩費用を見ると、産科診療所の多くは50〜60万円ぐらいの記載が多いですので、それよりもかなり高く見えます。要因としては、まずは先ほども述べたように建築費を結構高く見積もっていることがあります。また、収入についても不妊治療を行っていたり、婦人科診療・最近では美容系も併設する施設が増えていますので、そういった分娩以外の分野での収入でカバーして、分娩費用を抑えている施設もあると思います。今回はあくまで「分娩で費用を賄う」という所に特化して計算しているので、その分高くなったかなとは思いますね。


 ですので、この数字自体が高いか低いか、という所はさておいて、表をみて気が付いて欲しいのは分娩件数と分娩費用の関係についてです。例えば年間400件やっていた施設の分娩件数が100件減って年間300件になった場合、分娩だけで収入の減少をカバーしようとすると、1件当たりの分娩費は22.5万円アップします。1件当たりですよ。これは前述したように初期投資額が大きいところから派生する問題ですが、少子化で分娩件数が減少すると、5万円・10万円といった単位で値上げしていかないとやっていけないんですよね。

 今回、政府の肝いりで出産育児一時金が42万円から50万円に8万円アップしましたが、分娩数が減少している施設では8万円まるまる値上げしないと今までの収入が確保できない、という所もあると思います。ウチも実際そうです。世間では「一時金を上げても産科施設がすぐに追随して値上げするから、単に医療施設が儲かるだけじゃん」という意見が多かったですが、儲かるどころか分娩件数が減ればそもそも値上げしないとやっていけない、というのが実状です。

 ただ、逆を言うと、分娩件数を増やせば分娩費を抑えることが可能です。したがって『集約化』が1つのキーワードになりますが、これについてはまた後ほどお話しします。

 大体同規模の施設の具体例として、鎌倉市にあった「ティアラ鎌倉」について詳しい記事がありましたので見てみました。最初は年間300例強あった分娩数が2016年には200件を切って、100件以上の減少になっています。それに伴って補助金額も1億円を超えていますが、「ティアラ鎌倉」では分娩費は1件当たり55万としていますので、100件の減少で5,500万円の収入減になり、それをほぼ全額補助金で補填している、という事になります。これは先ほども述べたように分娩数が減少しても、夜勤を廃止したり入院を休止して費用を圧縮するということが産科では分娩を扱うという特性上出来ないため、その分を補助金で補填せざるを得なかったのだと思われます。結果、この補助金の増加が重荷になったようで、「ティアラ鎌倉」は2019年で閉院ということになってしまいました。ただ、この事例は、特に地方で「たとえ一次施設でも良いので我が町に分娩施設を」という考えに対して、「分娩数が年間200件未満しか見込めないのであれば、毎年実質1億円以上の公金投入をしないと維持できませんよ」ということを示しているとも言えます。したがって、本当に分娩施設を建設するのであればそういう覚悟がその地域にあるのかどうかということになりますが・・・。


 とこんな感じで計算してみましたが、実は産婦人科医会も同様に分娩費用の計算はやっていて、2012年に報告をまとめています。厚労省の特別研究事業なので、この数字は厚労省も当然知っているはずです。さすがに私の雑な計算とは違って、もう少し緻密に計算していますが、詳細についてはネットに公開されている報告書を参照してください。ここではまとめと総括のみスライドに引用しておきます。

 ザックリ言うと、10年前のこの報告書でも「分娩費用は60万円前後」と計算しています。またその数字と比べて特に地方の公立病院で分娩費が低いことを指摘しており(平均で42万円前後)、それは実際にかかる費用に対する価格の妥当性よりも政治的な思惑で低く抑えられている可能性があるとしています。実際、公立病院だと分娩費を値上げするには地方議会で承認される必要があり、値上げすると言えばかなり抵抗があることは想像に難くありません。

 とは言えそもそもこの報告書について言及されることがほとんどありませんので、「産婦人科医会もこういう提言はしているよ」ということをまずは知ってもらえればと思います。


 さて、どのぐらいの費用がかかるのか、分娩1件当たりでの負担額はどのぐらいになるのか、という話をしてきましたが、今度は「その金額を妊婦さんはどう負担するのか」という点について話していきます。


 まずは、産科医療機関から出される明細書には、だいたいこんな項目が記されていると思います。個別の科目については時間の都合上、解説はいたしませんが、ざっと目を通してください。ちなみに保険診療になる帝王切開でも、「分娩介助料」という自費項目があり、分娩については実質一部混合診療になっています。


 現状はこうした費用の請求に対し、出産した女性には保険者から「出産育児一時金」が支給されます。歴史についてはスライドにざっとまとめてあります。

 現在は「直接支払制度」が導入されており、実質的には保険診療とほぼ変わらない形になっています。その辺りの経緯についても産婦人科医会の資料を参照できるようにURLを添付しておきます。

 また、今は一時金に加えて自治体が独自に支給する制度もあり、例えば長野市では合計10万円が出産した女性に支給されます。

 それ以外にも産科医療補償制度がありますが、これについて話し出すとこれまた長くなりますので、本日は金額を挙げるだけに留めておきます。


 で、ここにきて俄に「分娩費用の保険適用」という話しが出てきています。この話の経緯については現在自民党でこの件のプロジェクトチームを率いている橋本岳先生のブログに述べられておりますので、スライドに引用しておきます。

 また、6月26日には政府が出産費用の保険適用の是非や課題を検討する有識者会議を開催したという報道がありました。

 現時点での報道を見ると、当初は「出産女性の費用負担を無くす/減らす」ということで保険適用の議論が始まったのですが、ここにきて「50万円まで自己負担無し」と大部トーンダウンした感じがしますね。結局「自己負担0で出産する」という所からは大部後退したかなと思います。


 分娩を保険適用にするとどうなるか、という話しの前に、現在の保険診療についてざっとまとめておきましたので、そちらはスライドを参照してください。「3割負担」「高額療養制度」「混合診療(の禁止)」は現行制度での分娩の保険適用を考える上で、かなり大きなウェイトを占める話になります。


 報道では「50万円」という数字が出てきていますが、これは現行の出産育児一時金の50万円に合わせた数字かなと思われます。というのは、保険者としては保険での負担がこれ以上の金額になるようであれば、それは容認できないだろうと思われるからです。高齢化の進行で保険支出が増加して保険者の財務は悪化しているところがほとんどですから、たとえ出産であれ今以上の支出の増加には当然ながら反対だろうと思います。ただ、「50万円」としても、もしこのうちの7割を保険者が負担、3割を患者が負担するのであれば、保険者からの支出は35万円に減ることになります。であれば、保険者としては「50万円」に賛成と言うことになるでしょう。


 一方で自己負担は3割で15万円ということになります。ここについては現行制度のままでも「高額療養制度」の適応になります。現在の制度では所得に応じて5段階に分かれており、区分ア・イの人については減額になりませんが、区分ウ以下の人については15万円では無く、それぞれ80,100円・57,600円・35,400円となり、自己負担は少なくなります。この部分に「新たな給付措置」でプラスとなる金額を支給すれば、実質的に自己負担を無くすことが出来ます。また、産科医療補償制度の掛金はおそらくこの「新たな給付措置」に含まれるのではないかと予想しています。と言うのは、産科医療補償制度は民間の保険制度ですので、この掛金を保険診療から支出することは出来ないからです。

 「新たな給付措置」については、負担が50万円から35万円に減額になる保険者がその差額を利用して負担するのか、税金を使って国もしくは地方自治体が負担するのか、それはまだわかりません。今後、議論が進むと思われます。


再三話題になる「個室料金」についてですが、これは現行制度だと「特定療養費」という制度に当てはまります。いわゆる「差額ベッド代」と呼ばれるものですが、これは自費診療で、保険給付の対象外で、実質的に混合診療を一部認めている物になります。最近の報道で「個室については別」というものが見られるのは、おそらく保険診療になった場合でもこの部分は保険の給付対象外だよ、ということを示唆しているのではないかと思います。

現在多くの女性が分娩前後に個室利用を希望されますが、個室を利用した場合にはおそらく「自己負担0」にはならず、でもそれは出産した女性自らが選択した結果だ、また「差額ベッド代」は各医療機関が保険診療の枠外で設定するものなので、保険診療の枠内に納めれば「自己負担0」であったはず、という話しにするつもりなのだと思います。

あと、この「差額ベッド」は全病床数の50%以下という規制がありますので、「全室個室」という施設の場合はその半分しか差額ベッド代を請求できない可能性もあります。


以下、その他に保険診療になったときの課題について自分が思いつく物を列挙してみました。


無痛分娩

 最近話題になっていますが、無痛分娩は保険適用になるのかどうか?

 保険診療に組み込まれた場合は、現状だと無痛分娩に対応出来る施設が少ないため、需要に対し供給が追いつかないという問題がかなり大きくなると思われます。また、設定する保険点数によっては逆に普及の妨げになる可能性もあると思います。


助産院

 現状では助産院・助産師は保険診療の枠外で、分娩が保険診療になると分娩の取り扱いが出来なくなります。これについては橋本先生もブログで言及していて認識しておいでなので、何らかの対策は考えると思います。

 出産育児一時金の歴史で述べたように、かつては保険産婆での現物給付という形を取っていたこともありますので、助産師が正常分娩に限って保険診療に対応するということもあり得るとは思います。


自宅出産

 助産院とも関連しますが、自宅出産はどうなるか不明です。現行制度だと自宅出産でも一時金は支給されますが、保険診療になれば保険医療機関以外での分娩に保険診療が適用されることは無いので、何らかの別の方策が必要になるかと思います。また、医療機関に向かう自家用車内あるいは救急車内での分娩、いわゆる車中分娩についても保険診療上どう取り扱うかは運用上の規定が必要になるのではないかと思います。


病院と有床診療所の入院費の違い

 入院費用に関する保険点数は、現行だと有床診療所の方が低く設定されています。その分、有床診療所では医師の当直や看護師・看護補助者の配置の設定が緩くなっていますが、産科有床診療所の場合、医師数を除けば病院とほぼ変わらない体制の所もあり、このあたり、配置加算などを設定するのか、議論を要するところです。

 一般に分娩では5日前後の入院という施設が日本では多いと思いますが、そうなると今のまま分娩が保険診療になると合計で35,000円近く病院との収入に差がつくので、診療所の分娩からの撤退が加速する可能性はあります。一方で患者側からすると有床診療所の方が費用が安くなるという視点もありますが。

 ただ、国の方針として分娩を病院に集約化するというのであれば、保険適用で自宅分娩・助産院・産科有床診療所を分娩から経営的に排除するというのはある意味理にかなってはいます。


高度な機能を有する病院の場合

 スライドの通り、当時の木村産婦人科学会理事長が大阪大学病院での分娩費用を試算した物があり、およそ120万円だったという記事を以前見ています。周産期センターでは元々の施設もNICUやMFICUの設置で高額になりますし、そういう施設を利用しないで済んだ正常分娩でもあっても、実際には陰で待機しているスタッフは複数の科にわたり人数も多くなります。分娩を集約化すれば周産期センターでも正常分娩を多数取り扱うことになりますが、こうした高度な設備や人員に見合うだけの収入を得られるように保険点数を設定する必要があります。

ただ、保険点数が高くなればその分自己負担も多くなりますので、「自己負担0」というお題目にはネガティブに働きます。もちろん、いざという時のバックアップ体制がしっかり確保されているのだから、その分、分娩にかかる金額が高いのは当然、という考え方もあると思いますが、それを出産する女性に納得してもらえるかどうか、というところでしょうね。


妊婦健診は?

 分娩が保険適用なら、妊婦健診も保険適用でないと整合性がとれません。保険診療になると超音波検査はどうするのかとか、施設によって独自に行っている検査などはどうするのか、次のスライドにあるように出生前診断はどのような扱いになるのか、課題はかなりありますが、このあたりはまだ情報がありません。


中絶と出産育児一時金

 分娩の保険適用となるといきおい「分娩」の所に意識が向きがちですが、現行制度では12週以降の人工妊娠中絶でも一時金が支給されます(産科医療補償制度の掛金分は減額)。これは一時金の創設時から、このお金が赤ちゃん誕生のお祝い金では無く・・・戦時中は「産めよ殖やせよ」という政策からそういう意味合いが強まりましたが・・・あくまで出産する母体の保護を目的としているからです。

「中絶にお金を出すなどおかしい」という意見もあるかもしれませんが、もしこれが無くなると「お金が無いために中絶できず、そのまま出産して新生児の死亡などに繋がる」という悲劇が増加する可能性が高まってしまいます。

 もし、一時金が無くなるのであれば、それに代わる制度が必要になると、中絶も扱っている現場の人間としては強く思います。


さて、こうやって課題を挙げてきましたが、実は正常分娩の費用は50万円以下でMFICU/NICUも持ち、かつ個室・レストラン・エステといった「豪華な」分娩を実現している施設があるのです。それがテレビなどでも取り上げられる事の多い、非常に有名な施設ですけれど、熊本の福田病院になります。

ここは地域周産期母子医療センターとしての高度な機能も果たしつつ、スライドにアップしたように、豪華な分娩も可能です。そして厚労省肝いりの「出産なび」では分娩費用は417,000~470,000円と、50万円以下です。つまり、全国各地に福田病院を作れば、分娩費用50万円以下で自己負担無し、が実現できます。あと、無痛分娩は3〜6万円の追加料金で受けることが出来ます。まさに注文通りということになります。

それを可能にしているのが、分娩数です。昨年度の分娩件数が3,739件。つまり分娩数を沢山こなすことで、1件当たりの費用を抑えることに成功しています。

分娩件数と1件当たりの費用の表を思い出せば、件数が増えれば1件あたりの費用は小さくなる、ということは、前に出したスライドの表を思い出してもらえればご理解頂けると思いますが、それを実現している施設として福田病院さんは凄いと思います。そしてそのためには分娩の集約化が必要となります。


ということで、キーワードは「集約化」ということになります。分娩数を集約化することで費用を抑制し、また人員も集中することで医師の働き方改革にも対応が容易になります。高次施設の機能を持つ施設に集中できれば、分娩の安全性もより高められると思われます。特に産後出血や新生児の蘇生などでは高次施設の方が素早く高度な対応が可能ですし、輸血なども分散させずに対応が可能です。


このように集約化はコストとクオリティについては有利に働きます。一方で、アクセスについては悪化します。例えば福田病院のように年間3,500件前後の分娩を行う施設となると、長野県であればおそらく県内の分娩可能施設は出生数を考えると県内全域でせいぜい4〜5箇所、ということになります。2023年度の人口統計で出生数が全国で最も少なかった鳥取県では3,493人ですので、福田病院モデルだと数字の上では分娩施設は鳥取県全県で1箇所、ということになりますね。

そうなると診療圏が広く居住地の近くに分娩施設が無くなる地域の妊婦さんについては、場合によっては1時間以上かけて分娩施設に通わなくてはならない、という可能性もあります。また、分娩施設が減るということは、選択肢が減るということでもあり、自分の望むような分娩が出来ないという可能性も高くなります。この辺りの同意形成が政治的課題だろうと思います。

あと、当地域では看護学校での母性看護の実習施設が集約化によって減少するという問題があります。母性看護の実習については男子学生の受け入れをどうするかという問題も含めて、地域によっては結構大きな課題になるかもしれません。


 また、一方で首都圏・中京圏では産院のグループ化を進めている法人があります。実際の例をスライドに挙げておきました。こうした方法も1つの考え方かと思います。

 この中でファミール産院グループについては先日代表の杉本先生のお話を聞く機会がありました。現在グループ全体で8施設、分娩件数もグループ全体で3,300件ぐらい、とおっしゃっていましたので、福田病院とは異なる形ではありますがほぼ同規模で、これも一種の分娩の集約化と言えるのではないかと感じました。


 別の視点として集約化を進めるにあたって、これまで分娩を担ってきた一次〜二次施設の役割については、スライドに挙げたように産前・産後ケア施設への転換というものも1つのアイディアだと思います。スライドの例は再び鎌倉市、湘南鎌倉病院が始めているもので、それまで分娩を行っていた施設を産後ケア専門施設に転換した例です。

 欧米のように無痛分娩から正常分娩であれば24時間、帝王切開なら48時間で分娩施設からは退院、その後はこうした施設で産後ケア、というのも地域によっては1つの方法になると思います。また、北海道・東北や長野県のように広域にわたる地域では、産前もこうした施設を活用することで、アクセス悪化の影響を和らげる事が出来る可能性もあります。

 課題はコストで、現状だと分娩を行わない施設が産後ケアをすると、一部施設を除いて概ね実質赤字ということが多いのではないかと思います。この場合は事業として継続性が保てません。その辺りの対応が必要になると思います。


以下、まとめになります


 出産可能な年齢の女性の数が今後さらに減少していくため、このままだと数十年にわたって分娩数の減少は避けられない。そのため施設を集約化し、分娩数をまとめていかないと、分娩施設の維持は不可能。

 すでに地方では分娩施設の減少は進んでいて、結果的に公的・準公的病院以外の分娩施設が無い地域も増えているが、今後はさらにそれらの施設の集約化をも進めていく必要がでてくるだろう。

 ただ地方の過疎化も急激に進行しているので、集約化しても周産期医療を維持できるだけの分娩数を確保できない施設も増えていく。そういう施設に対して公金を投入してでも維持するのか、そういう選択を迫られることになる。

 また、アクセスの悪化は避けられないため、そういった面に対する自治体からの補助なども今年度から始まっているとは言え、もっと積極的に進める必要がある。集約化した分娩施設から地域に妊婦健診に出張に行くという形もあり得るし、デジタル技術を利用して遠隔医療を取り入れる選択もあるだろう。

 一方、ある程度人口が集積して分娩数がまだそれなりの数がある地域に於いては、もし集約化を進めるのであれば分娩の保険診療化と共に、集約化の方向へ政策誘導していく必要がある。具体的には特に一次施設が分娩を手放しても経営が成り立つような方向への対応が求められる。先に述べたように、分娩施設というのは初期投資が大きいため、経営を考えると中途で分娩を止めるという決断は非常に難しい。もちろん民間施設なので、倒産という形で淘汰していくのも1つの考えではあるが、この場合、集約化の進行にかなりの抵抗が生じるだろうし、また施設によっては患者を獲得するために無理に無痛分娩を導入するなどして、分娩の安全性に悪影響を及ぼす可能性がある。この点については、今年度6月6日に開催された日本麻酔科学会学術集会の招待講演「『母体安全への提言』から考える産科麻酔」でも言及があった(座長 照井克生先生 演者 池田智明先生)。こうした点に配慮した上で、政策決定していく必要がある。

 今後、分娩数の減少に伴う分娩費用の高騰を避けるために集約化を進めていくのであれば、その点について国民にアナウンスしていくのは政治の役割となる。橋本先生・自見先生はじめ、政治家の皆様には、その点についてしっかりとその役割を果たしてくださることを期待する。また、実際に出産する女性たちの意見にもしっかり耳を傾けて、費用の他にも彼女たちが出産に求めていることについてより理解を深める必要がある。

 こうした政策誘導のために分娩費用の保険適用を進めるというのであれば、それは政治の一部として認められる部分もあるが、出産する女性の自己負担を軽減するという目的については単に保険適用にするだけで達成できるわけでは無く、これまで述べてきたような課題をクリアしていく必要がある。また、自己負担0の実現には保険適用のみが唯一の手段では無いので、その点についても出産する女性と周産期に関わる医療者に、十分な説明が必要であろう。なし崩しに保険適用として、出産する女性たちから「こんな物だとは思わなかった」という不満を医療現場がぶつけられるような展開は避けてもらいたい。そのためには政治がもっと強いイニシアチブを発揮しなくてはならないと思う。


以上になります。謝辞はスライドにかえさせて頂きます。

ご静聴、ありがとうございました。

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