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12月は「世界人権月間」。3人のアスリートが世界に与えたインパクト

こんにちは!Sunbears(サンベアーズ)編集担当の久保田です。いよいよ今年最後の月に突入しました。ホリデーシーズンの12月ですが、今月は「世界人権月間」でもあることをご存じですか? 

この期間は、世界中の人々が一丸となって、平等、正義、すべての人々の尊厳のために立ち上がることが奨励されています。これにちなみ、今回は3人のアスリート兼メダリストの話を取り上げたいと思います。有名な話なので知っている方も多いかもしれませんが、ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです。

(注:本文中の人物は敬称略)

ブラックパワー・サリュート

1968年10月のメキシコ五輪陸上男子200メートル。世界新記録19秒83で金メダルを獲得したアメリカ人のトミー・スミス(Tommie Smith)と、銅メダルのジョン・カーロス(John Carlos)は、靴を脱ぎ黒い手袋をはめた拳を表彰台で突き上げました。

黒人差別に対する、無言だけれども衝撃的なこの抗議のパフォーマンスは五輪史上最大の物議をかもし、二人は大会から追放されました。五輪後も満足な仕事を得られず迫害され、人生の大きな代償を払わされることになったのです。そしてこの行為はのちに「Black Power Salute」(ブラックパワー・サリュート)と呼ばれるようになりました。

歴史的背景にあるのは、50年代から60年代にかけて米国で活発化した公民権運動。1865年に南北戦争が終結してから、1964年に公民権法が成立するまでに約100年かかっています。法によって選挙権や教育・雇用の平等などの権利が保護されても、実際には人種差別はなくなりませんでした。メキシコ五輪の少し前には公民権運動を率いてきたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師も暗殺されました。

“We were just human beings who saw a need to bring attention to the inequality in our country.“ - Tommie Smith
「我々は、この国の不平等に目を向ける必要性を感じた、ただの人間だった。」‐トミー・スミス

Source: People’s World(和文: 筆者訳)

トミーとジョンが名誉回復の機会を得たのは、2000年代に入ってからです。2005年、母校のサンノゼ州立大学に二人が表彰台に立つ銅像が建てられました。2016年には、当時のバラク・オバマ米国大統領がホワイトハウスに二人を招待し、敬意を表しています。五輪でメダルを獲得してからすでに50年以上が経っていました。

サンノゼ州立大学の庭にあるトミー・スミスとジョン・カーロスの銅像。当時と同じく、靴を脱ぎ黒い靴下で立ち、黒い手袋をはめた拳を突き上げている。(撮影: 久保田 2021/12/05)

今回、私も実際にこの銅像を見にサンノゼまで行ってきました。筆者が住むサンフランシスコからは車で約1時間南下したところにあります。実は初めて知ったのですが、サンノゼ州立大学は1857年創立の、西海岸で最古の公立高等教育機関。スポーツに強いことでも有名だそうです。

銅像は近くで見ると意外に大きいものでした。芝から拳の先まで22フィート(6.7メートル)。私の背の3倍以上はあります。手前の碑に書かれていたのは、『Tommie Smith and John Carlos stood for Justice, Dignity, Equality and Peace. 』(トミー・スミスとジョン・カーロスは、公正、威厳、平等、平和のために立ち上がった)という文字でした。

母校の学生たちは、その歴史から何を感じ何を学ぶかーー少なくともこの像が学生たちに、人としての権利について考えるきっかけを与えてくれるのは間違いありません。

忘れられた白人ランナー

さて、もう一人忘れてはいけない人物がいます。銀メダルを獲得したオーストラリア人のピーター・ノーマン(Peter Norman)です。表彰台に立ったピーターの胸には、トミーとジョンと同じ『Olympic Project for Human Rights』(人権のためのオリンピック・プロジェクト)のバッジがついていました。

それによって彼もまた、人種差別反対に同調したアスリートとして、白豪主義のオーストラリアに帰国後は様々なバッシングやハラスメントを受けました。同国にとっては初の陸上短距離走のメダリストにもかかわらずです。彼は1972年のミュンヘン五輪に出る機会をも失い、競技人生は絶たれました。

残念ながらピーターの場合、名誉回復は生きている間には叶いませんでした。2006年、彼は心臓発作により64歳で死去。オーストラリア政府が公式に謝罪したのは6年後の2012年でした。しかし、ピーターの葬儀にはトミーとジョンが駆け付け、先頭に立って棺をかつぎました。3人の友情はメキシコ五輪から続いていたのです。

ちなみに、オーストラリアでの200メートル短距離走の最高記録は、ピーターが1968年メキシコ五輪で打ち立てた20秒06。いまだに誰にも破られていません。

ピーターの波乱万丈の人生はその後、甥で映画監督のマット・ノーマンがドキュメンタリー作品『Salute』として発表し、作品はシドニー映画祭などで数々の賞を獲得しています。ピーターは自分が人権擁護に賛同したことを後悔したでしょうか? 映画の中で彼はこう答えているそうです。『I was rather proud to be part of it.(自分はむしろそれに参加できたことを誇りに思ってる)』。

激動の時代に行われたメキシコ五輪は、NBCがドキュメンタリーにしています。英語のナレーションですが、ブラックパワー・サリュートだけでなく、ソビエト軍のチェコ侵攻に翻弄された女子体操選手や、開催国メキシコの苦悩など、当時の時事問題やそれが競技に与えた影響など、現在の私たちにとっても示唆に富んだ内容です。(注:米国以外では閲覧不可のようです)

スポーツ界の人権問題

国連が定めた人権宣言は、戦後の1948年12月10日に採択されました。73年経って、世界では人権問題は減ったのでしょうか?

スポーツ界では近年、不平等や差別にスポットライトが当たり、改善の声が以前にも増して強まっています。人権問題が世界中の競技団体や連盟の議題として取り上げられるようになったためですが、実際にFIFAなどは人種差別に対する厳罰化など、改定に前向きに取り組んでいるようです。

また、今夏の2020東京オリンピックでは、カミングアウトした性的マイノリティー(LGBTQ)の選手の数が186人と過去最高になったと報じられました。2016年リオオリンピックの3倍だそうです。オリンピック史上初めて、トランスジェンダーの選手も参加しました。

■オリンピズムの根本原則の第6番目
『このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。』

出典:日本オリンピック委員会

抗議の意思表示は「基本的人権」か

アスリートの政治的・宗教的・人種的な宣伝活動を禁じてきたIOCは、2021年7月に五輪憲章第50条の一部を緩和。選手は競技の前後に意思表示をすることが初めて認められました。ただし、メキシコ五輪でトミー・スミスとジョン・カーロスが拳を突き上げたように、表彰台での抗議行為は認められていません

これに対し、150人を超えるアスリートや団体らが異議を唱え、IOCに書面でルールの変更を求めました。トミーとジョンも署名に参加しています。この中で、「国際的に認められた人権の枠組みに従って抗議しデモを行うアスリートに制裁を課すことはやめてください」と要望しています。

ブラックパワー・サリュートから53年。スポーツ競技の場で人権に対する自分の立場を表すことは「基本的人権」かーーあなたはどう考えますか?

師走の忙しい時期ではありますが、せっかくの世界人権月間、ちょっとだけ歩みを緩めて、皆さんも人権とは何かを考えてみませんか。

■人権宣言第1条と第2条より抜粋
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」
「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位によるいかなる差別を受けることなく」
世界人権宣言に掲げるすべての権利と自由とを享受できる。

出典:国際連合広報センター

【参考文献】

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