ビジュアルから解析する刀剣乱舞 長義は実は「山姥切」の号を自分のものにしたいとは思ってないんじゃね?ってのは服装から読み取れるかもしれない的なあれこれ。
刀剣乱舞くんは虚無ですが、虚無と思われる部分にアホみたいな情報が詰め込まれてるよって話をしてみます。
この記事を踏まえて、近侍を山姥切長義に変えてみてください(刀帳で見比べてみても可)。彼の服装からも、「どうやら山姥切長義は本作長義を封じて、わざと山姥切長義として本丸にやってきているみたいだぞ」、ということが推察できるようになっています。
山姥切国広が特時代にまとっているボロ布と、山姥切長義がまとっているマント。これを「山姥切伝説」の象徴であると仮定してみてください。その上で、回想の55「猫斬りと山姥切」を見直してみましょう。
南泉はざっくり言うとこういう意味のことを言っています。
それから回想54で、南泉が山姥切国広に対して「おーおー、ホントに顔隠してんだなあ」「オレと同じ、呪い仲間さんかと思ってさあ」という呼びかけをしていること。この辺りを踏まえると、「W山姥切は布(山姥切伝説)をまとっている状態だと、南泉の語尾と同じように何らかのエラーが発動するのだ」ということが推測できます。
どういうエラーなのかも、南泉は回想55で指摘してくれています。
「猫斬ったオレがこうなったみたいに、化け物斬ったお前は心が化け物になったってこと……にゃ!」
つまり、言動や行動がどこかおかしくなる、それこそが山姥切達にかけられた呪いだ、と言っているわけです。
国広の方にかけられた呪いはわかりやすいです。「自分に自信が持てず、自分を卑下し、自分が偽物と混同されることを嘆く」毒親と化した母親が「あなたは無能なのだから、ずっと私の庇護下にいなさい」と洗脳してきているような状態なわけです。あの布を頭からまとうと本人的には顔もみられなくて済むし落ち着くのでしょうが、それこそが山姥=毒親と化した母親の呪いであると言えるわけです。
では長義の方は?こちらも呪いが発動しています。回想56と回想57の、山姥切国広に対する態度。長義本人はおそらくそんなつもりはないのですが、端から見ると「私の方があなたより立場が上なのだから、あなたは私の庇護下にいるべきだ」とヒステリックに騒いでいる母親に近い言動になってしまっています。
「本科と写し」は「親と子」の関係でもあるので、山姥切長義の方には子供の国広の前では「毒親化した母親=山姥のような言動をしてしまう」呪いが、山姥切国広の方には「毒親化した母親が子供の自立を許したくないがために、お前は無能だと洗脳してくる、毒親=山姥に押さえつけられている子供になってしまう」呪いが発動するのですね。
その原因が、彼らのまとった布にある、と南泉は国広との回想で指摘しているわけですね。「ホントに顔隠してんだなあ」と国広に言うことによって。
さて、ではふた振りがまとっている布に着目してみます。ボロ布をまとっている国広と違って、長義の布にはさまざまな加工が施されています。
「布の四隅には金色の飾りがあり、その先に房飾りをつけている」
「金色の房飾りがついた紐で布を結び」
「さらに山姥切長義の紋のブローチと、青の房飾りで布を止めている」
「布の色は表が灰色で、裏面が濃紺色」
それぞれの意味を見ていきましょう。
「布の四隅の金色の飾り」→地鎮祭などで土地の四隅に竹をたてて、区切られた空間を清浄なものであると定義するのと同じように、山姥切伝説に見立てた四角い布を金色の飾りで飾ることで、この布は清浄なものであると定義している
「金色の飾りの先に房飾りをつけている」→房はほうきなので、「悪いものを払うもの」
「金色の房飾りがついた紐で布を結んでいる」→山姥切伝説を放り投げた極後の山姥切国広に、お前がお前であることの証のひとつなのだから、投げ捨てるなちゃんとまとえと言いたい?あとは、切れてしまっている「本歌と写し」の間のパスを再び結ぶという目的もあるのかも。
「山姥切長義の紋のブローチと、青の房飾り」→マントを留める布にこの二つのアイテムを持ってきていることから、「山姥切伝説をきちんと制御する」という意図をもってあえてここにブローチをつけているのだと思われます。
「布の色は表が灰色で、裏が濃紺色」→表の灰色は「諸説ある山姥切伝説の象徴」で、裏面の濃紺は「聖母マリアの象徴色」です。つまり、「そのまま羽織っていると自分を呑み込む山姥の呪いを、裏面に聖母マリアの象徴色を配置することで反転させようとしている」のだと思われます。
……山姥切名乗って布まとうと呪われることを重々承知した上で、考えられるだけの対策をして布まとってきてね?つまり、「本作長義ではなくあえて山姥切長義で国広の所に来ているけれど、山姥切長義で来ていることそれ自体は彼の本意ではないのではないか?」ということが、服装からも読み取れるわけです。
続いて、ドロップ産とかシール産の長義の顕現セリフ、近侍セリフにも着目してください。
「どうしたのかな?そんなにまじまじと見て」
これは、「自分をまじまじとよく見てみろ」という審神者への指示です。
何と比べてまじまじと見るのか。長義は「山姥切という名を挟んで本科と写しの関係である、山姥切国広と自分を見比べてみろ」と言っています。
刀工が違うので、服装が違うのは当たり前の話です。
見比べるのは、服装以外の部分、つまり、顔です。
「山姥切国広の両目は隠れておらず、山姥切長義は左目を隠している」「山姥切を挟んで綺麗に本科と写しをやるのであれば、長義も両目が見えていないとおかしい」「なのに長義は左目を隠している」=つまり、「本来は本作長義なのだけれど、今はその部分を封じてあえて山姥切長義で顕現している」ということが、「左目を隠している」ことで読み取れるよ、というヒントな訳ですね。
左目を隠しているのは何故なのかは、能のワキとシテの関係から読み取れます。参考リンク↓
彼が髪で隠しているのは「ワキ」側、つまり「この世で実際に生きている武士の側面」です。逆にあらわにしているのは「シテ」側、つまり亡霊や鬼=山姥切伝説の山姥部分ですね。
シテとワキの関係は、「特命調査の回想」と「回想56、57」との間でも見比べることができます。
特命調査の回想では、山姥切国広が左手(シテ=鬼や亡霊=山姥切伝説側)で、監査官が右手(ワキ=この世で実際に生きている武士側)。
逆に回想56、57では「山姥切長義が左手(シテ=鬼や亡霊側)で、山姥切国広が右手(ワキ=実際に生きている武士側)
つまり、聚楽第で監査をしていたのは「本作長義」であり、監査官をしていた「本作長義」はあえて「山姥切長義」として各本丸に配属されている。なおかつ、「山姥切長義」は「逸話の確実性では山姥切国広に負ける、そんなことは初めから承知の上であえて山姥切長義として本丸に来ているのだ」ということを読み取ることができます。
号の取り合いっていうのは表向きの見せかけで、長義は目的があって「山姥切長義」として本丸にやってきているんだよ、ということが、この辺からも読み取れるよ、という解説でした。以上おしまい。
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