山姥切国広と山姥切長義のギミックを国広の手紙と発言から割ってみる〜山姥切国広、そもそも初期状態で盛大なバグ抱えてない?編〜

ゲーム刀剣乱舞くん関係の与太記事3つを書いてから結構な時間が経過しました。
書いた当時から見解が変わったり、もうちょっとわかりやすく色々説明できそうなところがあったりしたのでまとめてみます。

!あくまでも与太話です。他の方の感想や見解を否定するものではありません。!



・使用する情報:「ゲーム内のテキスト」 メディミの情報は一切考慮しません
・今回は徳川美術館の「金鯱叢書 第47輯」内から「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討」を参考資料にさせていただきました。無料で読めます。


ではいってみよう。



1.山姥切国広の手紙から「事実」のみを抜き出してみよう

刀帳95番にある、山姥切国広(以下、国広と表記します)の手紙を開きましょう。ここから、「国広の感情や主観を抜いた、事実のみを抜き出してみましょう。
※国広が「この物事はこうだと認識している」も「事実」に含めます。

◆1通目◆
・国広は、「山姥切の写し」としての評価ではなく、自分自身の評価で独り立ちしたいと思っていた
・人々が話している内容が、『国広の記憶』とは違っていた

◆2通目◆
・『国広の記憶』では、「国広は、『山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切の写し』であって、『山姥を切ったのは国広ではなかった』
・『国広があった人々』は、「国広が山姥を斬ったから、そのもとになった『長義の刀』が山姥切と呼ばれるようになったと言っていた」
・国広は「写しの俺が、本科の存在感を食ってしまったようなものだ」と感じている

◆3通目◆
・2通目の手紙のあと、国広は「長い年月、多くの人の話を聞いてまわった」
・「国広が山姥を斬ったという伝説、『本科』が山姥を斬ったという伝説、そのどちらも存在している」
・国広は「堀川国広が打った傑作で、今は審神者に見出されてここにいる」

国広の感想や決意や主観を抜いた「事実」のみの抜き出しは、以上で完了です。


整理した「事実」のうち、太字の部分に注目してください。では、特の山姥切国広の刀帳に戻ってみましょう。


「俺は山姥切国広〜(中略)〜……山姥切の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない〜(攻略)」


この「山姥切」に、先ほどの太字の部分を代入してみましょう。


「俺は山姥切国広〜(中略)〜……『山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切』の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない〜(攻略)」



違和感に気づかれましたか?


特時代の山姥切国広は、「自分は山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切」の写しだと言ってはいるのですが、「自分は本作長義(以下略)の写し」だとは一言も言っていないのです。



手紙2通目、「国広が山姥を斬ったから、そのもとになった『長義の刀』が山姥切と呼ばれるようになったと言っていた」

→特時代〜極修行中に寄越す手紙まで含めて、2通目のここで初めて「長義の刀」という単語が出てきます。極めた後のセリフまで含めて、「長義の刀」という、おそらく「本作長義(以下略)」を指すであろう単語が出てくるのはここだけです。しかもこれは「俺があった人々から聞いた話の内容」であって、「国広本人の認識」ではないのです。


つまりどういうことなのか。短くまとめるとこういうことです。


「顕現〜特カンストまでの山姥切国広は、自分を『自分は山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切の写し』だと思っていた」

つまり、

「国広が認識していた『山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切』は、必ずしも「本作長義(以下略)」と同一の存在であったとは限らない


ということです。どういうことなの。



2.本作長義(以下58字略)≒山姥切?

ではここで、徳川美術館の「金鯱叢書 第47輯」内から「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討」を読んでみましょう。
「どっちが山姥を斬ったのか」はここでは問題にしません。

検討するのは、「特時代の国広が認識していた、『山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切』と「本作長義(以下五十八字略)」をイコールで繋ぐことができるかどうかです。

・尾張徳川家・徳川美術館で本作長義を『山姥切長義』と称したことは一度もない
・「日本刀大鑑」(昭和41~47年に刊行・監修:本間順治、佐藤貫一)内で沼田鎌次氏が執筆した山姥切国広の解説で、「山姥切の号は元々長義のもので、写しとして国広が打たれた時に、逸話も写されたとされた
・本間氏、佐藤氏が編纂した「日本刀大鑑」は事実上の刀剣評価の定本で、そこでこう評価されたために、それがほぼ定説として刀剣界に敷衍した

(以上、「刀 銘 本作長義(以下、五十八字略)」と山姥切伝承の再検討」より一部要約して引用)

余談ですが「敷衍(ふえん)」を辞書で引くとこういうのが出てくる。「定説を押し広げちゃった」(……)

今やってるのはギミックの検討ですので、さらにわかりやすく要約します。


「長義の号の『山姥切』は『なんらかの手違いがあって昭和に本作長義に付与されて』、昭和に長義のものであるという認識が広まってしまったもの」
である。

つまり

「昭和より前の時代には、『山姥切長義』という刀は、そもそも存在していなかった」(存在していたのは『本作長義』という刀だけ)

と見なしてよい、ということです。


ここで「1」で出した結論に戻ってみましょう。

「顕現〜特カンストまでの山姥切国広は、自分を『自分は山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切の写し』だと思っていた」

さらに「2」で出した結論を再度並べます。

「昭和より前の時代には、『山姥切長義』という刀は、そもそも存在していなかった」(存在していたのは『本作長義』という刀だけ)


特時代の山姥切国広、お前一体何を自分の「本科」だと思ってたの?「昭和以前には存在してない刀」を自分の本科だと認識してへんか????


これが、「顕現時〜特時代の国広が、そもそも初期不良を抱えた状態で本丸にやってきてないか疑惑の核」になります。


3.つまりどういうことなのか

こんがらがってきましたね。
ここで「山姥切国広は、ある時代より前の記憶を全部落っことしている」と仮定します。

「どの時代からの記憶を落としていれば、特時代の刀帳・手紙2通目のような、自分は『山姥を斬った伝説を持つ刀、山姥切の写し』であるという自己認識になるのか」を検証していきましょう。


「自分が小田原で打たれた時代から全ての記憶を持っている」のであれば、最初から「本作長義の写しとして、長尾顕長の依頼で打たれた」と名乗るはず。
「本作長義の写しとして自分が打たれた時の記憶」は落としている


「小田原攻めで元の持ち主が敗北した後〜山姥切伝説が付与された(手紙3通目で、「長い年月、多くの人の話を聞いてまわった」とあるので、山姥切伝説そのものは「長い間語り伝えられていた」ものだと見なしてよい)後からの記憶を持っている」のであれば
→「山姥切伝説は自分のものだと思っていたが、昭和に『長義の写し』であることがわかり、同時に『自分のものだと思っていた山姥切伝説』が、実は『本作長義のものであることがわかった』という認識になるはず。(長義の伝説は昭和に付与されていることがほぼ確定であるため、長く語り伝えられている山姥切伝説=国広のものであるとしてOK)」よって「手紙2通目の認識が成立しない」
→「山姥切国広」の号と共に市井で受け継がれてきた時代の記憶も落としている


つまり、「昭和以前の記憶は全部落っことしているし、自分の本歌が『本作長義』であることも忘れている」 のが、特時代の山姥切国広だったという回答が出てきます。


特時代の国広「俺の元になった刀は『山姥を斬った山姥切という刀』で、俺はその写しなんだ…俺は山姥を斬っていないんだ…」

国広の言う「山姥を斬った山姥切という刀」、おそらく「山姥切国広」以外に存在しないのですが、特時代の山姥切国広くんは一体何を写した刀だったんだい……という、だいぶかなり怖い状態だったことが以上のことより導き出せます。スッキリしましたね!!
いや全然スッキリしないね!?!?!?!?


4.山姥切長義は何故「本作長義」ではなく「山姥切長義」で来たのか

ではここで、刀帳158番、山姥切長義の刀帳をみてみましょう。

「山姥切長義。備前長船の刀工、長義作の刀だ。俺こそが長義が打った本歌、山姥切。どこかの偽物くんとは、似ている似ていない以前の問題だよ」

刀剣乱舞ONLINEより

山姥切国広の刀帳は、特でも極でも「『俺は』山姥切国広。」から始まります。比較して、長義の刀帳で『俺』が出てくるのは、「『俺こそが』長義が打った『本歌』」です。なので翻訳すると多分こういう感じ。

「山姥切長義(と名乗らせてもらうよ)。備前長船の刀工、長義作の刀だ。俺こそが長義が打った本歌(=俺は本作長義)、山姥切(=国広の刀帳の『山姥切』の部分には俺を代入しとくように)。〜後略〜」


本歌の指示に従って、特国広の刀帳に「俺こそが長義が打った本歌、山姥切」を代入しましょう。


代入前
「俺は山姥切国広〜(中略)〜……山姥切の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない〜(攻略)」

代入後
「俺は山姥切国広〜(中略)〜……本作長義こと山姥切長義の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない〜(攻略)」


はい、安定しましたね!!!!「存在しない山姥切った刀」ではなく「本作長義」が国広の本歌の位置に収まりました!!!お疲れ様です本歌様!!!!!

国広が極めちゃうとまた安定しなくなるのですが、多分極めると「自分が記憶を落っことしてること」を思い出してるんですよね国広。そうなると、「山姥切長義」が存在としてだいぶ不安定なのもわかってるはず、なので、「なんでそんなふわふわ状態で来ちゃったの?」と聞いてるのが回想57。
君が大ボケをかましてたせいだよ。
長義の胃が心配になりますね。胃薬を差し入れたい。お疲れ様です。



5.なんで山姥切国広はそんな不安定な状態でやってきたの?


わからん(終わり)。

推測材料がないのでほんとになんもわからんです。
大侵寇であの世界は何回もループしてる=何回も敗北してるっぽいことが判明したので、たぶん前回より前のループで敗北したことで、山姥切国広は初期不良を抱える羽目になったのかな……???それ以上はなんもわからんです。
おそらく長義は原因がなんなのかをある程度は知っていて、「国広に本歌は自分だと認識させるために、あえて山姥切長義で来た」=ある程度弱体化している(徳川美術館に記録が一切残っていない以上、『山姥切長義』でくると美術館に残っている『本作長義の記録』とのリンクがほぼ切れてしまいます)のかな…????くらいは推測できますけど、あくまで予想の範疇です。他にも理由ありそうですし。


その他諸々を掘っていくと、「小田原攻めの歴史がなんらかの大改変をされているっぽい?」という予測がなんとなくできるのですけど、次の大規模レイドイベントはこれなのか、な…??どうなんだろう。

以上、与太与太考察でした。伯仲、ややこしいな……


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