#10分で読める小説「バナナカステラ」
幼稚園の帰り道、おばあちゃんはいつも僕を迎えに来てくれた。
「今日も頑張ったねえ」
そう言って僕の手をぎゅっと握る、おばあちゃんの手はいつも温かかった。
帰り道の途中に、小さな工場みたいなお店があった。鉄製の焼き型から甘い香りが漂い、ショーケースには黄色いバナナカステラがずらりと並んでいる。
「今日はバナナカステラ、食べようか?」
おばあちゃんのその言葉に、僕は満面の笑みで頷いた。
ふわふわで、ほんのり甘くて、噛むとじんわり優しい味が広がる。僕はバナナカステラを頬張りながら、おばあちゃんとゆっくり歩いた。
それが、僕にとって一番幸せな時間だった。
でも、時は流れる。
おばあちゃんは亡くなり、あの工場も、気づけばきれいなマンションに変わっていた。
バナナカステラを売る店はもうほとんどないらしい。ネットで調べて、日本に残るのは岡山と大阪の二軒だけ。わざわざ足を運んで食べたけれど、どこか違った。美味しいのに、懐かしいあの味には届かない。
──だったら、自分で作ってみようか。
そんな気持ちで、僕はメルカリで古い鉄の焼き型を手に入れた。バナナカステラの形をした、まるでおばあちゃんとの思い出を焼き直すような鉄器。
試行錯誤しながら、少しずつ焼いていった。小麦粉、卵、砂糖。昔ながらのシンプルな材料。香りが漂い、焼き上がったバナナカステラを一口かじる。
──違う。まだ何かが足りない。
何度も何度も試して、ようやく「あの味」に近づいた気がした。
ある日、僕はそのバナナカステラをSNSに投稿した。懐かしいお菓子の記憶を綴りながら。
すると、思いもよらずバズった。
「これ、めっちゃ美味しそう!」
「こんなの初めて見た!」
コメントが次々とつき、フォロワーが一気に増えていく。
そして、僕はふと考えた。
──これ、もしかして商売になるんじゃないか?
試しに「手作りバナナカステラ、売ります」と投稿したら、DMが殺到した。
「どうしても食べたいです!」
「取り置きできますか?」
その熱量に驚きながらも、僕は思い切って小さな店を開くことにした。
最初は半信半疑だった。こんな懐かしいだけのお菓子が、本当に売れるのか? でも、開店初日、店の前にはすでに行列ができていた。
「SNSで見て、絶対食べたいと思って!」
「おじいちゃんが昔、よく食べてたって言ってて…」
そんな言葉を聞きながら、僕は一つひとつ丁寧にバナナカステラを焼いた。
いつしか、お客さんたちはバナナカステラを自由にアレンジし始めた。
ホイップクリームをつけたり、チョコレートをかけたり、カラースプレーを散らしたり。
それは、僕の記憶の中のバナナカステラとは違うものだった。
けれど、それが嬉しかった。
バナナカステラは、僕の思い出のお菓子から、今を生きる人たちのスイーツへと変わったのだ。
でも、焼きながら僕はふと思う。
──おばあちゃんにも、食べてもらいたかったな。
湯気の立つバナナカステラを見つめながら、そっと呟く。
「今日も、頑張ったよ」
まるで、おばあちゃんの温かい手が、また僕の頭を撫でてくれるような気がした。