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科学哲学講義メモ 序章

何度かAudibleで科学哲学の授業を受けているんだけど、めっちゃおもしろいので復習を兼ねて自分なりにまとめてみる。みんなも科学哲学やろう!すでに科学哲学を修めている方には、ぜひ「ここ間違ってるよ」「もっとこういうの読んだ方がいいよ」「私ならこう書くかな」みたいなフィードバックをください!


科学について哲学する

かがくのちからってすげー、でもなんで?

科学がスゴイものだ!という認識をもってるひとはめちゃくちゃ多い。科学的に正しい、と言われたらなんかもう言い返せない感じがある。知識を得るためには科学という手段が選ばれるのは当然だよね!とも思われていそう。意思決定をするときに、科学的な意見が求められていることも多い。この科学というものが持ってるスーパーすごい立場というのは、妥当なものなんだろうか?なんで科学はこんなに持ち上げられてるんだろう?そんなことを、考えてみたい。

てつがくのちからってなんだよ

まあ講義メモのタイトルが「科学哲学」だから、この「科学」について考える上で「哲学」使っていこうぜ!ということになるんですが。哲学ってなんやねん。科学について考えるというのはまあ「科学スゲー」という共通認識があるからいいけど、その時に哲学なんていうツールを選ぶのが妥当なんですかね。科学は、物理学!化学!とか分かりやすい領分があるけど、哲学はこれといって見当たらない。こんな武器で科学について考えていける?

哲学とはどういうものなのか整理する

哲学というのは、問いを立ててその根拠を探していこうとする営みとして説明できます。ざっくりしてる!ちょっと言葉遊びというか、堂々巡りっぽい説明になっちゃうけど、哲学というのは「子どもがするような質問を、弁護士や研究者のように緻密に考えていく」という性質を持っていると理解してもらえるといい。これってなんだろう?これってなんでだろう?と、問いを投げかけて、それに対して真摯に答えていこう!とめっちゃがんばることそれ自体が哲学なんですよー、という話。

哲学を使って科学について考えるのが良い理由

いや、そんなんどんな学問でもそういう部分あるんちゃいます?というツッコミがある。そしてそれは結構正しい。だからこそ、哲学というのはあらゆる学問の基本だよねえ、なんて言われたりする。逆に言うと、どこにでも哲学は対応できる可能性がある。例えば「空間とは何か」という問いは、科学ぽい話でもあるけど、哲学ぽくもある。遊撃隊みたいな、どこにでもいけまっせ的な営みだからこそ、「科学ってなんであんなに偉そうにできるん?」みたいな漠然とした質問に答えられるかもしれない。哲学しようぜ。

これからのメモの流れ

どこまでこれに沿って書けるかはわからないけど、一応これからの予定的なところ。

どこまでが科学やねん論争

最初の一歩として踏み込みやすいのは、カール・ポパーさんの「科学と科学ぽいものの違いってなに?」という問いに関する哲学でしょう。たとえば血液型占いって、雰囲気は科学ぽいけど科学じゃないですよね。でもなんで?という話。科学という素晴らしい世界から、疑似科学というものをしっかり区別してやりたい!という気持ちからスタートしたポパーさんは「科学ってものにとって大事なのはさ、観察や実験の結果に基づいてるか?とかじゃないんだよ!」という驚きの考え方にたどり着きます。

観察は大事だよ、アインシュタインが言ってたもん

次に、でもけっきょく観察内容とか実験結果が超大事だよね!という考え方についての話を、アインシュタインの「世界をつぶさに見つめていたら、実は時間とか空間とかって絶対的な単位じゃないことが分かったんです」というマジでワケわかんない理論がもたらした衝撃とともに追っていきます。これは論理実証主義という考え方で、現在はほぼ死んだ考え方なんですが、現在の科学哲学の問いの枠組みとかをつくることになった考え方でもあるので理解を試みます。

どこまで目に見えるものを大事にするか

その中で話題になる、観察結果と科学的真実の紐づけをどこまでやらなきゃいけないのか、という問いは重要なので少しだけ深掘りします。たとえば「人間の魂に善悪はあるか」という問いはどうも科学で扱うべき内容じゃなさそうだけど、「単体のクォークは存在しうるか」という問いは科学的な感じがします。どちらも観察できないのに!ほかにも「銅という物質は電気を通す」ということを言うために、この世に存在するすべての銅について実験しなくてもいいの?とかいう問題も出てきます。

実は科学ってそんなにカッコよくない説

これまで出てきたポパーさんや論理実証主義者のみなさんは科学者マジで普通のひとよりいろいろ考えててカッコいい的な見方をしていたんですが、トマス・クーンさんという人が「いや歴史的にみるとそんなことないから、わりと適当だから」という話をし始めます。このクーンさんが打ち立てた(それまでの科学哲学からするとわりと過激な)話について、クーン君さすがに言いすぎっしょ、科学はそんな適当じゃねーから!みたいな話をする立場と、クーン先輩の叩き方じゃ足りない!科学はもっとやばいっス!みたいな話をする立場を見てみます。

科学的説明について本気出して考えてみた

ここまでで、科学ってどういう取り組みなんだっけ?という問いがある程度発散してくるので、改めて、科学というものが「ものを説明するパワー」をどこから得ているのかを考えてみることにします。ここで重要になるのは、前にも出てきた証拠と理論をどこまで重視するかみたいな話や、因果関係を示す証拠なんてつくれんの?みたいな話。さらに、まあ生物学はDNAの動きに落とし込むことができるし、それって最終的には物理学じゃね?みたいな考え方にも触れてみます。科学というのは、明らかな事実のみをベースにしてどうにか説明したい!という側面と、明らかでないところに踏み出して新たな事実を説明したい!という側面の緊張関係の中で震えているのだ…的なことまでメモをつくれたら御の字。

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