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ショートショート『燻製の香り』


茨城県つくば市の研究学園エリア、大学生の拓海と彩乃がシェアハウスで暮らす家の庭に、家庭用燻製器が置かれたのは、秋の土曜日の昼下がりだった。拓海が「燻製にハマった」とネットで買ったもので、コンパクトな金属製の箱にスモークチップを入れるタイプだ。  
「これでチーズとかベーコン作ったら美味いぞ」  
拓海が得意げに言うと、彩乃は「失敗したら臭いだけ残るよね」と冷ややかに返した。庭では、灰色の猫・小太郎が興味津々に燻製器を嗅いでいた。  

二人は早速準備を始めた。拓海がスモークチップに火をつけ、彩乃がスーパーで買ってきたチーズとゆで卵を網に並べる。燻製器を庭のテーブルに置き、蓋を閉めると、ほのかに木の香りが漂い始めた。小太郎は煙に目を細め、尻尾を振って近くをうろつく。  
「つくばの秋って、こういうの似合うよな。空気も澄んでるし」  
拓海が満足げに言う。彩乃は「失敗しなきゃね」と笑った。  

30分後、燻製器を開けると、チーズは黄金色に輝き、ゆで卵は香ばしい香りをまとっていた。「成功だ!」と拓海が喜び、二人は試食用の皿に盛りつけた。小太郎が「ニャー」と鳴き、テーブルの下で足にすり寄る。彩乃が「猫にチーズはダメだよ」と言いながら、小さくちぎったゆで卵を床に置いた。小太郎は一瞬で平らげ、満足そうに喉を鳴らした。  

夕方、二人は燻製器でもう一回挑戦することにした。今度はスーパーのサバを燻してみようと、拓海が魚をセット。だが、煙が強すぎたのか、庭にモクモクと白い霧が広がった。  
「やばい、近所迷惑になる!」  
彩乃が慌てて窓を閉め、拓海が燻製器の蓋を開けると、サバは真っ黒に焦げていた。小太郎は煙に驚き、庭の木に飛び乗って「ニャーッ」と抗議の声。  
「失敗か…でも、香りはいい感じだったろ?」  
拓海が苦笑いすると、彩乃は「失敗の香りってやつね」とため息をついた。  

夜になり、二人は庭で燻製チーズを肴にジュースを飲んだ。つくばの星空が広がり、研究学園の静かな夜が心地よい。小太郎はテーブルの下で丸くなり、時折燻製の残り香を嗅いで目を細める。彩乃が「次はちゃんとレシピ見ようね」と言うと、拓海は「失敗も経験だろ」と笑った。  
すると、小太郎が急に立ち上がり、庭の隅をじっと見つめた。拓海が「どうした?」と目を凝らすと、煙の残り香がふわっと形を作り、猫のような影が浮かんだ。  
「え、何!?」  
彩乃が驚くが、影はすぐに消えた。小太郎はまた丸くなり、二人は顔を見合わせた。  
「燻製器の魔法か?」  
拓海の冗談に、彩乃が「つくばの秋の気まぐれだよ」と笑った。燻製器は静かに冷え、次の挑戦を待っていた。


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