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人が多すぎるのではないかこの世

noteに日記を書いてみたら、後からやってきたわたしが「なんでnoteに書くのだ」と申し立ててくる。

むしろ誰にも知られない気にされないところでケロケロ生息していたいのに、と。

人がたまに通り過ぎるぐらいの街角にあるベンチに座っていたいだけなのに、と。

インターネットにあげてしまうと、自分のからだが知らないところに転写されている気分になる。MRIとかの、頭頂から足の先までスキャンされて、放流されたコピーみたいな感じ。

でもインターネット、あれは好きだった。ふつうに人がホームページを持っていた時代のホームページ。

♪ Welcome To Hiroshi’s Homepage ♪

みたいな飾り付けがあって、お呼ばれ感を感じとりながらうっふふとアクセスカウンターのわきを通り過ぎる。そんな時代のホームページ。

言うならば…SNSは渋谷のセンター街で、ホームページは神泉あたりの街角、または閑静な住宅街の、誰か知らない人の家って感じだ。

テレビよりラジオが好きなのも似た理由かもしれんよ。ラジオってもうちょいと街角が神泉でそこにベンチがあってね、街灯が照らす範囲ぐらいで耳をそばだてるんだ。

そこに、声の小さかったひとたちが集まった。

この世、少子化ぁと叫ばれて久しいのだと思うんだけど、わたしひとりに対して、この世は人が多すぎる。そういえば、昔から教室には人が多すぎると思ってた。飲み会も人が多い。多すぎてもいいんだけど、あずかり知らぬところで多すぎていてほしい。

SNSではそれが可視化されるからつかれちゃうのかも。でも、夜のSNSはよいんだ。人がいないからね。SNSは夜になるとタイムラインより街灯の存在がおぼろげに現れてくる。眠ってるねこのすがたもみえてくる。あれ、ねこちゃん…。

よしよーし

さて、午後になった。絵を描こうと思ってらくがきをしはじめてみると、なんだか面白くない。なんかさめてる。なんか描きたいものに辿り着けてない。

もしかして、もう絵を描くのをやめたほうがいいんじゃないの…?と思う。

そしたらたまたま知らないある人の絵を見かけて、あっと思った。この人、なんというか、自分が描きたい世界を持ってる人だ。

模写してみる。楽しいかもしれない。もっとこんな絵が描きたいと思ったし、仕事的に絵をいいと思うんじゃなくて、個人レベルで「この絵が好き」と思えることって、なんか、うれしい。本当の好きがある。

たしかに、どんなに有名な人でも自分好みの絵とそうではない絵はある。そらそうだがや。そこの自分の判断軸って自分にとってかなり大事じゃないのか。いい絵、とかじゃなくて、好き!とか、気持ちゆるがされる!とか、そういう気持ちさ。

もうちょっとだけやってみよう。もっと、作られた自分の絵じゃなくて、オリジナリティとかでもなくて、自分がわくわくしてしまう、気持ちたかぶるもの。それを探してみようよ。

夜。妻から「ディズニーが、ファンタジースプリングスオープン前夜にYouTubeをしている」と聞いて、そうだ、ディズニーはYouTubeをしたらいいのだ、と返した。

わかるか、だからやっているんだ。

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