「ピザパをやる」とまるでそんなこと言いそうにない人に言われたらきっと嬉しい
7月19日(金)
今日は金曜日。久しぶりに金曜の華やかさを肌で感じよう!ということになり、夕方からうちでささやかなピザパーティをすることになった。
妻はバイト先で会う人会う人に「今日はうちでピザパやる」と報告してきたそうだ。
日頃プライベートを明かしすぎないように心がけている妻なので、急に「ピザパをやる」というプライベートな一面を明かされたほうは驚いたのではないかと心配したが、ややもすればむしろ嬉しいものなのかもしれないな。
わたしが「ピザパをやる」とまるでそんなこと言いそうにない人に言われたらきっと嬉しいだろう。
「ピザ、作るんですか?」と聞かれて「OKで買う」と言ったそうだ。実際のところそういうことなので正しい。
チーズ・ハム・プチトマトという無関係な諸氏を一本の爪楊枝で筋を通したやつと、マックスバリュ近くのお弁当屋さんで「人気No.1!」とうたわれていた唐揚げを5個。軽くレンジでチンして、オーブンで3分ほど加熱。
小皿の上にはOKの「ブルーチーズの4種チーズピザ」と「ローストチキンのジェノベーゼ」1/4カット。
ちぎりかさなるレタス。
ごま油でじわじわ炒めたズッキーニ(うまい)。
そしてキリン一番搾りという、何日も続いた盛大なパーティの一瞬だけ切り取ってひょういと持ち帰ってきたような風景だった。
幸せを感じるのは、こういうささやかなる贅沢をしてるときだ。虎舞竜がなんでもないようなことが幸せだったと思うと言っていたわけだけど、まさにわたしもおんなじ気持ちだし、いつか過去をふりかえって同じフレーズを歌うときだってくるのかもしれない。
幸せってサイズ感としてはたぶんかなり小さいもので、日頃なかなか気づけないものだからこそ貴重だ、と考えながらピザを食べる。
そして幸せって当事者だと当事者すぎて感じ取れないもので、当事者の手をはなれて過去のものになったときにはじめて「あ、あれは幸せだったのだ」と遡行的に発見されるものかもしれない、とも思いながらチーズハムトマト串をほおばる。
それは取り返しのつかない過去であって、そのときには、もうその幸せをどうこうすることはできないのだろう、と思いながらビールを流し込む。
そうであった。ピザパーティにはもうひとつミニマルなイベントがあった。久しぶりに映画を見たのだ。『月子』という日本映画で、『ドライブ・マイ・カー』の三浦透子さんが出ていた。『月子』は2017年の映画で、ドライブ〜より4年前の作品だった。
父が縊死した少年と知的障害の少女の話で、何を言われても無口な少年が、少女には話しかけられる。途中で食器類を片付けて、引き続き観る。
ほつれた布と、ほつれた布、同じほつれた布だから成立できる関係。橋の上で特に目立つわけでもなく、少女の髪がなびくシーンがあった。
美しいを飛び越えて気持ちがよかった。どこか遠いところで吹いている風だった。映画を観ると視界に入っている風景が変わる(明度が落ちてボリュームが小さくなる)。自分もまた、ほつれた布みたいにその辺の風景の一部にある、そんな感覚だった。
ビールを飲んだためだろう、映画の途中だったが、ソファにもたれかかったまま妻は眠っていた。
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