動機善なりや、私心なかりしか
イノーバは、2011年の起業から決して順風満帆ではありませんでした。
アメリカのマーケティングの最新手法・トレンドを日本に届けるという方式ですので、流行の火付け役としての役割は一定果たせたかもしれませんが、「マーケ業界での流行り言葉」から「実需」に移るまでに時間がかかり、ターゲット業種もBtoCからBtoBへ。事業の軸足も、コンテンツ制作からコンサル寄りへとシフトしてきました。
そのような中で、常に心の片隅にあったのは、稲盛さんの言葉である、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉です。
これはもう経験則のレベルですが、自分自身の利益とか、自分会社だけの利益を考えて、「うまい事やろう」とすると、短期的にはうまく行ったとしても、必ずどこかで足元をすくわれる印象があります。
逆に、世の中のために、お客様のために、社員のために、という事を考えて行動すると、最初は苦労したとしても、長い目でみれば、必ずうまく行くのではないかという風に思います。
どうしてそうなるのかというと、なかなか奥深い話になると思います。僕は、松下さんや稲盛さんが考えるように、宇宙は進化発展の方向に向かって強く運動エネルギーが働いており、私たちの日々の生活や企業のビジネスにおいても、その進化発展の力に強く支配されているからではないかと感じています。
たまたまご縁がありまして、現在、白潟総研の 石川哲也さんに組織コンサルをしていただいておりますが、2年前に最初に行っていただいたワークショップで、一部の社員を集めて、ポストイットワークをやっていただきました。職場として見た時に、イノーバのいいところ、だめなところはどこ?という話でして、いいところで上がってきたキーワードが、「嫌な人が居ない」、「いい人ばっかり」、「助けてくれるし、教えてくれる」、「親切な人が多い」という事でした。
これは、本当に目から鱗でありました。しかし、良く考えてみれば、私のキャリアのスタートである、富士通などもまさにそういう社風があったように思います。20代のキャリアを「いい先輩、いい上司」に囲まれて過ごせた事は、本当にありがたい事です。改めてお礼を申し上げたいです。こうして考えると、人生のうちの長い時間を職場で過ごすからこそ、「いい人」に囲まれて過ごすことは大事なのだと思います。
ただ、一方で僕が感じたのは、「いい人文化」という言葉の響きを考えた時に、少し違う、少し弱いという点です。いい人文化というのは、嫌な人の対義語としての意味合いが強いかなあとか、「あの人はいい人だけど彼氏にするにはちょっと」的な意味合いで使う事もあるので、Bestな人ではないというのが若干ですけど、ニュアンスが含まれている気がします。
そこで、僕は、イノーバの文化を「善き人」文化として言語化したいと思いました。稲盛さんが「動機善成なりや、私心なかりしか」という事を常に問い続けていたように、イノーバの社員のみんなには、仕事を通じて、お客様に価値提供をして、社会の発展に貢献していく存在であってほしい、イノーバの使命である、「マーケティングで日本を元気に」という大目標をともに実現する中で仲間で会ってほしいという想いからです。
「善き人」というキーワードが出てきた事で、少し、もやもやが晴れました。この言葉なら今後100年、200年とイノーバを存続させる上での、精神的な支柱にできるのではないかと思ったのです。
「善き人」という言葉は、善悪の善です。
過去の人間の歴史を考えるに、科学技術や資本主義など、人間の利己的なエネルギーをエンジンとして発展してきた歴史であるように思います。しかし、一方で精神は荒廃し「生きる意味や未来への展望」が見えにくくなっている時代であるとも感じます。
まさに稲盛さんの、「動機善なりや、私心なかりしか」という事に立ち返る時代なのではないでしょうか?
イノーバも、「善き人」文化を大事に、社員やお客様の幸福、そして、日本の発展に貢献したいと考えています。