鳩時計のハトはでたまま。
祖父母が暮らしていた家の手すりなどを業者が引き取るのに立ち会うことになった。祖母は12月に他界し、祖父は施設に入った。早朝、40度の高熱がでたため病院に連れていきますと施設から電話があり、父と母は検査の付き添いのためにそちらに向かった。
業者の人が来るまで、部屋は入らないでおこうかと思った。子どもの頃、父と母は共働きで、焼肉店を経営していた祖父母の家に姉と共によく預けられた。1階で営まれる焼肉屋に、よくちょっかいを出しに行ったものだ。常連さんからおこぼれをもらったり。2階の住居は、よくみんなでご飯を食べた。大きくなってからも、成人してからも、年末はここで過ごした。その思い出がどうなっているか、一人で見る勇気がなかった。
いや、と思い直して上がり慣れた階段を登る。段と段の隙間から下が見えるため、子どもの頃は上がるのが怖かった。
階段を登りきると、階下の近くの物置を開ける近所の人と目が合い、挨拶した。ここに人が来るのも、もう珍しいのだろう。老夫婦の家のドアは、いつも開かれているものだったから、人生で初めてこの部屋の鍵を開けることになった。二重鍵になっていて、鍵の開け方に戸惑う。近所の人が見ている。空き巣じゃありませんよ、ピンクの目立つ上着を着ているでしょう……。
ドアを開けた。見慣れた玄関が目に入って、その床には、令和2年の日付になっている新聞紙やチラシ、郵便物が床に散乱しており、心臓が反射的に締め付けられた。マスクを外してみる。懐かしい家の匂いの中に、かびの臭いが混じっている。天井の近くには、ずらりと提灯が並んでいる。旅先でお土産に買う小さな提灯。右から雷門、サロマ湖、高千穂峰、越後湯沢、大阪城、京都……しれとこ、はデザインが違うものが2つある。旅好きの夫婦だった。パークゴルフ仲間たちと連れ立って、よく旅行に行っていた。
誰もいない家に、子どもの頃寝た部屋とか、4:43を指したままの時計がある。人が住んでない家は、何もかも止まってる。悲しいから、玄関のドアを開けっ放しにして、5月の晴れた空気を流してみる。電池を入れ替える人がいないので、ありとあらゆる時計が好き勝手な時間に止まってる。4:43、8:46、寿命はそれぞれだ。7:30を指す鳩時計のハトはでたまま、帰る場所をなくしている。
針の音がするのに気づいた。一つだけ、動いている時計がある。12:29、私とこの時計はまだ正確な時を刻んでいる。
チャイムが鳴り、業者の人が来た。玄関の様子を眺めてから、寂しくなっちゃいましたね、とその男性は言った。ええ、本当に、と応える。きっと祖父と祖母とも会話を交わしたりして、交流を持ってくれていた人なのだろう。さっそく手すりを二人で外す。手すりは全部で四つあった。最も大変だったのは、ソファの下に固定された手すりで、天板が差し込まれて固定されているため、重いソファをどかすのに難儀した。天板を取り出すと、吐瀉物のようなものがこびりついていた。業者の人は、見ないふりしておきます、と言って引き取ってくれた。
「人がたくさん集まる家だったのにね。いつも賑やかなおふたりだったなぁ。お孫さんも、ここに来ると色んなこと思い出して寂しくなるでしょう。」 はい、と応える。
作業も終わり、事務的な書類にサインを書き終えると、業者の人は帰って行った。作業中にカーペットが一部分濡れていたのを踏んずけて、右足の指先がひどく冷たい。
おじいちゃんが寝ていたベッドがある。ベッドサイドに、虫眼鏡と旺文社の国語辞典が置いてある。ベッドに仰向けになってみた。天井を見上げると紐で引くタイプの電気があり、紐の先は「2019しらかば大運動会」の金メダルで長さが延長されていた。祖母が亡くなったあとは、どんな気持ちで寝ていたんだろう。目線を少し落とすと、神棚があって、その下に、ちょうどベッドに寝ころんでぼんやり遠くに目線を伸ばすとあるその場所に、私の成人式の写真が飾ってあった。何も知らなさそうな女の子。キメ顔を意識してるのか笑顔がやや引きつっている。おじいちゃんが撮ってくれた写真。頭で考えるより先に涙がでた。肩が震えた。肺が揺れた。口から声が漏れた。
まだ生きている時計が13:18を指しているのを確認して、二重鍵をきちんと閉めて部屋を出た。ピンクの上着に、枯れ木のような、古い皮脂のようなにおいが吸い付いている。車のエンジンをかけた。