蜂蜜
毎朝、ヨーグルトに蜂蜜をかけて食べる。真っ白な半液体の上にスプーンで掬いとったものをそっと傾ける。朝の慌ただしさの中で、時間の流れに抗うように、ゆっくり、ゆっくり、金色の糸が、するりするりと落ちるのを上から眺める。
なにかを見下ろすとき、自分がそのなにかを手中に収めている錯覚に陥ることがある。例えば、飛行機から見る街並みは、本当にパラノマのようだ。橋なんてあんなに細くて、指で簡単にポキリと折れてしまいそう。雪がまだ残る山肌は、手で撫でるとゴツゴツしていそう。ふーっと息を吹きかけて、あの白い粉を飛ばしてみたい。思うがままに遊べるパノラマ。
旧態依然とした環境では、パノラマ的視点を持って、部下を上空から無邪気に触ろうとする人間がいる。人間は指ではじいただけのつもりでも、懸命に道を渡す橋の激痛を知らない。橋は橋の役割を果たそうとする。寝返りを打つ方法を知らないから。
だが、一人の人間のパノラマも、今やスマートフォンで眺める地図のように、二本指で拡大縮小を繰り返すことができ、高度だって自由に操れる。関係性はいつもひっくりかえる可能性をはらむ。気づけば自分もパノラマの一部。
考えごとをしていると、白い半液体への的がずれて、器から蜂蜜が零れた。神様の視点は日常に引き戻される。キッチンのステンレスにぱたっと落ちた蜂蜜を指で拭い、舌に力をいれて舐めとる。まだこびりついている。拭う。まだ残る。綺麗にふき取っても、まだべたつく。