初秋お見舞い
あなたは怖くないですか。自分の考えを、電子的な文字に起こしていって、自分の脳内をつまびらかに(あるいは作為的に抽出して)、不特定多数の誰かの目に晒しておくこと。
たまに思うんです。正直なことをSNSでつぶやくとき、スマホの画面からにゅうっと何本もの白い手がでてきて、私の頭をこじ開けてくる。そうして剥き出しになった脳みそを、何対もの目が、真っ白な余白を泳ぐ、たくさんの何対もの黒い目が、ただじっと見つめてくるんじゃないかって。
最近は、心の中のなにかが過剰なんです。抑えようとしても、明日の朝にはかすれた声が喉から漏れ始めて、最後には永遠と叫び続けてしまうようになるんじゃないか。正とも負ともつかないエネルギーが、自分の中でどんどん膨らんでいっているのがわかります。こういうときって、どうしたらいいんでしょうね……
去年からずっとやっていたSNSチャットアプリもログインできなくなってしまいました。もっと話してみたい人がいたのに。でも今みたいな状態なら、 そのSNSも覗くことができない方が良いのかも。
心を落ち着けるために、村上春樹さんの作品を読んでいます。読んでみて、とても建築的な文章だな、と感じています。物語に、入口と出口がある感じ。家の玄関みたいに、入口と出口が同じ扉、という印象ではなく、入口から部屋のドアをどんどん開けて、奥へ奥へと進んでいくと、基本的にはきちんと入口とは別の出口の扉があるイメージ(そうではない作品もありますが……)。今のところ読んだ長編作品は、そうした物語の間取りが似ているような気がしています。
そして、作品を読んでいくほど、間取りや構造を何度も反復することになり、入口から出口までの過程で味わう感情がどんどん純化されていく感覚があります。その純化に癒されるし、ストーリーを追う以外にも仕掛けがあって、それに気づくのも面白い。今さらですが、村上作品の多面的な魅力にぐいぐい引き込まれています。
こうやって、殴り書きのように文字を打たないと、心が叫び出しそうです。代わりに、こうして文字で叫ぶことにします。もしかしたら、怖さや、白い手や目も、こんなふうに叫んでるやつには近寄ってこないかも。
窓の外を見ると、すっかり秋めいてきています。今住んでいる街では、最高気温が20℃を超えない日が続くようになりました。でも、涼しくなったのと引き換えに、見事な快晴の日が続いています。
こういう天気が続くと、こころを日向ぼっこさせたくなります。秋晴れの陽射しにこころをさらしたら、きっと新鮮な柿の肌みたいに、つやつやになる気がしませんか……
あなたの住んでいるところはどんなお天気でしょうか。少しでも気分が良くなるような一日を過ごせていたら嬉しいです。季節の変わり目なので、どうかお身体ご自愛ください。