9月16日(木)
行きつけのスーパーまでの道のりは、必ず佐藤さん家の窓からこんがりきつね色のポメラニアンに気でも触れたんか?というくらい吠えられる。悲しみの通過儀礼だ……
街を歩くと、最近は自転車にスピーカーを備え付け、ダウナー系のチルいHIPHOPを垂れ流す高校生ヘッズたちをよく見かける。これは地方だけの光景ですか? 都会でもこのような光景が見れますか。
私が10代の頃は、教室の片隅でイヤホンをつけて休み時間を過ごすことにより、音楽好き・ソロプレイ余裕アピールとともに何の音楽聴いているんだろうと周りに思われたいという自己顕示欲の満たし行為が発生していた。今は自分から何の音楽を聴いているかを道行く知らない人にも知られてもいい(あわよくば知ってもいいよ)という満たし行為が発生しているんだなと思った。(単純にイヤホン+自転車が危ないというのもあるだろうけど)
YouTubeでもTikTokでも、会ったことない世界に対して誰でも気軽に自分自身を発信できる世の中。自分を知ってほしい!の対象が教室だけでなく街ゆく見知らぬ人に広がっているのもインターネット社会っぽいな、と思った。ご近所迷惑、という言葉もあるので、肯定的にばかりは受け取れないけど。
私はちょっと疲れてる。SNSとか、インターネットとかの発信/受信でいいねもらったりいいねつけたり。みんなと自分の生活の一片の切り売りが羅列されていくタイムラインを眺めていると、誰かの生活を消費している/誰かに生活を消費されているということが同時的に起こっている感覚。それもものすごいスピードで。自分でコントロールしないと、どんどん濁流に飲まれちゃいそう。
少し前まで喉がきゅっと詰まったような不安に襲われていたけど、これからの目標が定まったので気持ちが楽になった。これから、マジョリティのレールには乗れなさそうなことがわかってしまったし、それでも生きていたいから曲がったりくねったりしてゆっくり進んでいくしかないね。