今後、英語を喋れるという能力は必要なくなる?
皆さん、こんにちは。Sunaoです。本日は、最近よく聞く
「英語なんて必要ない。」
という意見について思うことをツラツラとつづりたいと思います。
最近、「もうAIが自動翻訳してくれるようになるから英語なんてしゃべれる必要はない。」
という発言を耳にします。確かに、英語を喋れるようになるまでにかかる学習時間、費用を考えるとAIが勝手にやってくれるのならば、デバイスを買ったほうが安いのでは?と思っても仕方ないのかなと思います。
しかし、言葉って一つのことを伝えるにしても、いろいろな伝え方があります。
例えば、たまにの贅沢で高級レストランに予約をして行き、名前を聞かれたときに
「名前は何ていうの?」/What's your name?
って高級レストランの店員さんに言われたらちょっとびっくりしませんか?
「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」/ May I have your name, please?
って聞いてもらったほうがせっかくの外食だし、気分も上がりますよね。あーちょっと贅沢してる気分♪ さすが高級レストラン。店員さんの対応もいいわ~って
これは少し、大げさに書きましたが、言葉の選択肢ってとても大事だと思います。それって英語でも同じなんです。そんな大事な選択肢をAIに任せていいの?と僕は思います。
また、例え拙い英語だとしても、自分の言葉で相手の目を見て伝えることでしか伝えられないものもあると思います。僕はAIを通しての会話ではどんなに正直に話してもらっても、何か壁を感じますし、なかなか本当の友達ってできません。
確かに日本人にとって、英語を学ぶということは文化、文法、発音と壁は他国の人に比べると高いですし、成長が目に見えるものではないので時間やお金のような数字的なものでみると「コスパが悪い。」と考えるのも無理はないのかもしれません。
しかし、僕は英語を学んだことで、今でも何かあると報告や心配の連絡をくれる友達が世界中にできました。
ハーバード大学の75年に及ぶ研究では人間の幸せはまわりの人間関係の質で決まるという研究結果もあります。つまり、人生幸せに生きたいなら「親友」はたくさんいたほうが幸せになれるわけです。
この目に見えない「幸せになれる確率」という数字を向上させられるのであれば、目に見える数字「時間やお金」を無視して英語を学ぶのもいいですよ。と言いたい。
AIが台頭してくる時代だからこそ、あえて人間味を大事にしていきたいなと思う今日この頃でございます。
共感してくれる方いらっしゃればうれしいです。
今日は時代の波に逆らう記事を書いて指が悲鳴を上げていますので、今日はこの辺で指を止めたいと思います。
おしゃべりな僕は打つよりも喋るほうが好きです。そのため、YouTube、Podcastsにもお手すきに遊びに来て下さると僕はハッピーです。
それでは
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