問う前にシャッターを押せ
山崎ナオコーラさんの「ニキの屈辱」という小説を読んでいたら、はっとする一節に出会った。
主人公である写真家のニキがアシスタントの男性と話している場面である。
アシ君は写真家のアシスタントをしているくらいだから、当然写真家を目指している。
いくら持ち込みをしても全部断られてしまうとこぼすアシ君に対するニキの言葉である。
「写真家やってる人は自分に自信があるんでしょ?、って思ってんの? 私だって自信ねえよ。でも、そんなの関係ないんだよ。そういう問いの前にシャッター押しちゃんだよ。写真家は、自分じゃなくて、外界に興味があるの」
あたくしがはっとした、というよりガツンときたのは、
「そういう問いの前にシャッター押しちゃんだよ」
のワンフレーズである。
ニキは写真家だが、このワンフレーズは、
小説、音楽、美術、その他もろもろの、
何かを創ろうとしている人たちすべてに贈られるべきことばであると思う。
何かを創り始めると、ぶつかる一番の障壁が自己嫌悪であるとあたくしは思う。
創ろうとしても、創りながら、自分の創ったものがひどい出来に思え自信を失ってやる気がなくなったり、
多くの人は、創り始めることすらできない。
つまり、自分の創った(創ろうとしている)ものをしりから批判してダメ出しをすることに
多大なエネルギーを消費してしまい、疲弊して、
本来の創造作業にエネルギーが向けられないのである。
創るために一番重要なのは作り始めること。
ニキのこのことばは、創造するための真理を喝破しているとさえいえる。
別の本で読んだのだが、
ある陶芸教室で生徒を二つのグループに分けて実験が行われた。
Aのグループの生徒には、「質はどうでもいいから、とにかく数を多く作ってきたらいい点数をつける」と宣言し、
Bのグループの生徒には「数は少なくてもいいから、質のよい作品にいい点数をつける」と宣言したところ、
Bの生徒は、あれこれ考えるばかりで結局ほとんど完成させることができず、
Aの生徒の方が最終的に質のよいものを作れるようになったそうである。
つまり創る前に(創りながら)質にこだわると、
「問うだけでシャッターが押せなくなる」ということだろう。
作家に「傑作を書くコツはなんですか?」と尋ねたところ、
ある作家は「駄作を山ほど書くこと」と答え、
ある作家は「クソみたいな第一稿を書くこと」
と答えたという。
「駄作」や「クソみたいな第一稿」を自分の才能のなさの証明ととらえるか、
傑作が生みだされる過程ととらえるかの違いが、
作家になれるかどうかの分かれ目なのだろう。
駄作を経ることなく、傑作は生まれないのだ。
物を創ろうとしている人、なんだか勇気がわいてきませんか?
では今日も元気に駄作をいっぱい生みだしましょう。