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チロルの店

「なんていいますかね、もっと、ぐわっと、画期的な店にしたいんです」
「ぐわっと」
「そう」
「ぐわっと、というのは?」
「わかりません? 要は、他にない店です。ここにしかない店です。ここあたしが立ちあげから運営までこれまで一人でやってきた店です。だから、あたしそのものなんです」
「はあ」
「あたしという存在は、世界にあたしだけ、つまり唯一の存在なんで、あたしそのものということはこの店自体唯一無二ということです」
 おれは、目の前のコーヒーを飲みながら考えるふりをして、彼女の顔を盗み見た。特にこれといって特徴のない顔だが、どこかもやがかかったようなずれたような妙な雰囲気があった。依頼の電話をかけてきたときからそれは感じていた。電話ではたしか「チロル」と名乗っていた。自分の名前なのか店名なのかもわからない。店頭には何の表示もないのだ。
「あのですね」
「はい」
「他にない店にされたい、とおっしゃいましたよね」
「はい」
「今、現在唯一無二ということは、既に他にない店、ということですよね?」
 彼女の瞳が、ぐっと、少し大きくなった。魚みたいだ、と思った。目と目の間が離れているのでよけいにそう見えた。
「要するに」
 彼女が口を開きかけたのを制しておれは言った。
「お客がたくさん来るようにしたいわけでしょ?」
 この店に来て二十分ほどたつが、客らしき姿は一人も見ていない。彼女は気まづそうに視線をさまよわせ、
「端的に言えば、そうなります」
「最初から、そう言ってくださいよ」
 おれは、立ち上がって、店内を歩き回りながら、何と言おうか考えていた。きちんとした提案をしないとコンサルティング料はもらえない。そもそも、何を売っている店なのかさっぱりわからない。そこに置いてある「もの」はどれもこれもちぐはぐでぼんやりとしていて、とらえどころがないものばかりだった。
「ところで、この店は、一体何を売っているのですか?」
 彼女は、また、目を大きく見開いた。今度はさっきのように少しではなく、ものすごく大きく見開いた。とどまるところなく、大きくなり、顔中目となり、ついには顔から目がはみ出した。
「そんなことも知らないで、コンサルティングを引き受けたというのですか?」
 彼女は、叫んで立ち上がり、おれの方に詰め寄ってきた。びっくりして逃げようとしたが、その前にはみ出した目に押されて、おれは壁に勢いよく背中をぶつけてしまった。
(了)

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