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イエローマンデー ~ Final episode  岩山 シュレッダーの機械 友達の有効期限~

 道も何もない岩山なので、安井さんもさすがに手間どっているようですが、ぼくに比べるとペースはずっと早いので差がどんどん開いていきます。何しろふだん運動らしいことをほとんど何もしていないのですから、ほんの五分登っただけで手足がだるく呼吸が苦しくなってきました。岩は頑丈そうで崩れたりする心配はなさそうでしたが、どこをつかんでどこに足を乗せるかを慎重に考えて進まないと、何かの拍子に手足をすべらせてそのまま転げ落ちてしまいかねません。そうなると、ごつごつした岩に体をぶつけて、よくて大けが、最悪死ぬこともありえます。肉体的な疲労と心理的な恐怖が重なっては完全に参ってしまい、気づけば、泣き声に近い声をあげて安井さんを呼んでいました。
 安井さんは、右手で岩をつかんで器用に体をねじって振り向きました。とにかく疲れてしまってどうしようもない旨を訴えると、じっとぼくを見つめているようでしたが薄闇のせいでその表情はよくわかりません。
 毎日デスクに座りっぱなしで体力が落ちてるんですよ。たまには運動もいいんじゃないですか。
 安井さんの声はまったく疲れを感じさせないほど快活でした。
 ぼくはね、ふだんからけっこういい運動してますからね。毎日毎日、全部署の廃棄書類を集めて地下まで運んでるんですから。けっこうな量ですよ。もちろん台車を使うんですが、どれほど重いか、あなた、わかりますか。むろん一度で運べるはずありません。何回も何回も往復するんです。
 安井さんの声がだんだん暗く沈んで陰惨な色さえ帯びてきました。
 地下のシュレッダーの機械見たことありますか? ものすごくでかくてすごい音たてるんです。その機械の穴の中に書類の束を放りこんでいくんです。その穴がね、なんかいやがらせみたいに機械の上の方にあるんで、持ち上げて放り込まないといけないんですよ。そもそもシュレッダー室がどこにあるかすら、あなた、知らないでしょう? 空調もろくにきいていないんで、夏なんてその日の分全部終わる頃には、もう、汗だくですよ。あなたたちが快適なオフィスできどった企画書なんか作っている間に、あたしは毎日そんなことばっかりやってるんですよ。朝礼で、優秀な企画書を作った人が、よく表彰されたりしてますけれども、失敗した企画書の後始末している人のことなんて、表彰どころか話題にすら出たことないですよね。あれ、どういうことなんでしょうか。バカにしてるんですかね。
 念仏みたいに単調に吐き捨てると、安井さんはまた登り始めました。
 温厚な安井さんとは思えない冷たい態度に、ぼくは事態が把握できずにしばらく茫然としていました。そうしているだけでも、手足の筋肉がだんだんと痛くなってきました。いつまでもじっとしているわけにはいきません。このまま登り続けるか、あきらめて降りるかしか選択肢はないのです。何を探すでもなく、ぼくは周囲を見回しました。すると、十メートルくらい離れた先に、人の姿が見えました。ぼくらと同じように「休憩処」に行こうとしているのでしょうか。長い髪はどうやら女性のようです。ときおり手足を止めてきょろきょろしているようすはまるで何かを探しているようにも見えます。薄闇にほの白く浮かび上がるのはむきだしの太ももです。こんな岩山をスカートで登っているようなのです。まさか、と思ったそのとき、彼女の顔がぼくの方を向きました。その、まさかでした。地下鉄で、ぼくに襲いかかってきた女子高生に違いありません。ぼくは反射的に勢いよく顔をそむけました。その拍子に上半身がねじれ、左足が岩からはずれて体が傾きました。思わず上ずった声をもらしながら、右手で岩をつかんで何とか転落を免れました。胸が激しくどきついています。顔を少しだけ動かすと、視界の端で女子高生をとらえることができました。ぼくに気づいたようです。まちがいなくこちらに向かってきています。ぼくは、無我夢中で安井さんの名前を呼びました。自分でも驚くくらいの大声だったので聞こえていないはずはないのですが、安井さんは振り返りもせず動きを止めるそぶりすら見せず、登り続けていました。安井さんの、友達の有効期限はほんの数時間だったようです。少しでも女子高生から離れようとしましたが、両手両足がそれぞれが微妙な具合でバランスが保たれている状態で、どこをどう動かしてもそのまま落ちてしまいそうで身動きすらとれません。首をそれ以上回せないのではっきりとはしないのですが、息づかいがかすかに聞こえるような気がするので、女子高生はすぐ近くまで来ているようです。だからといって、もう、進むことも、戻ることもできないのです。そのせいでしょうか。やけに気持ちが落ち着いてきています。なすすべもなく、空を見上げました。真っ青な中にぽつんと白いものが見えます。気味が悪いほど巨大な月が「休憩処」のすぐ上に浮かんでいるのです。目のすぐ先で何かが動く気配がしました。闇にすかしてみると、大きな蝶が岩にとまっています。羽は片方が根元からちぎれてしまっているらしく、無事な方の羽を扇のように揺らしながら、ぼくの鼻先に向けた触覚を 匂うようにぷるぷると震わせているのでした。

    (いちおう end  またつづく、かも)

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