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ワンコイン・ナナ

 馬蹄山の林にカブト虫がどっさりいる。祐樹がどこかから仕入れてきたその情報を始めのうちぼくも和也も聞き流していた。カブト虫なんて何の興味もない。「昆虫クラブの奴らに一匹千円で売れる」。少し心が動いたが、部屋でゲームばかりしているインドア派のぼくらにとって虫捕りなんて考えただけでも気が重い。

「ワンコイン連れて行って捕らせりゃいいじゃん。一匹百円だったら喜んで来るって」

「ワンコイン」。同じクラスのナナのことをぼくらはそう呼んでいた。彼女は「何でも屋」で料金は一件につき一律百円だ。「壁がない家に住んでいる」「彼女が『何でも屋』と空缶集めで両親と妹を養っている」など、彼女をめぐる噂は絶えない。どれも真偽ははっきりしないがお金のためなら何でもするというのはあながち嘘でもない。「掃除当番の交代」「花火大会の場所取り」に始まって、小六の女子がワンコインで男子でもためらうようなことでもやってのける。川に落としたゲーム機だってびしょ濡れになって拾って来る。カブト虫くらい木によじ登ってでも捕まえるだろう。夏休みも終わろうとしているある日、一匹百円で了承したナナとともに、ぼくらはバスに揺られて馬蹄山に向かった。

 結果は散々だった。林にはカブト虫など影も形もなかった。夕刻近くまで探しまわったあげく一匹もゲットできずに時間切れとなった。悪いことは重なるもので、バス停に続く道がどうしても見つからず、同じ所をぐるぐる回るはめになった。太陽は山の陰に隠れようとしていた。早くしないと暗くなる。バスもなくなってしまう。誰もがあせっていた。

「あ~、喉乾いた」

 祐樹が草むらにへたりこんで叫んだ。もともと昼には帰るつもりだったので三人とも水はペットボトル二本分しか用意しておらず、とうに飲み干してしまっていた。

「水あるけど」

 ナナがリュックからペットボトルを数本取り出した。目を輝かせる三人を上目使いで見てナナはぼそっとつぶやいた。「一本一万円だからね」。
ぼくらは言葉を失った。無駄足に終わった腹いせにしても水一本一万円はひどすぎる。

「ふざけんなよ。それ百円の自販機のやつだろ」
「一本一万円。一円もまけられない。嫌ならやめれば」

 ナナはキャップを開けておいしそうに水を飲んだ。喉の渇きがさらに増した。祐樹がナナの前に立ちふさがった。

「おいワンコイン! お前、心底金の亡者だな。世の中金ですべて解決するとでも思ってるのか!」
「お金で何でも解決してるの、あんたたちじゃないの」

 周囲はさらに暗くなり、ナナの表情ははっきりしない。

「あんたたちのいやなこととか面倒なこと、あたしがいつも解決してあげてるじゃん。たった百円で。ああそうですよ。そうしないとあたし生活できないもの。死ぬのよ。意味わかる? あんたたち明日何も食べる物がないって状況経験したことある?。ないわよね。今日生きてたら明日も自動的に生きてるって思ってるでしょ。だから山に登るのに予備の水すら用意してこない。そんなやつら乾いて死んだらいいのよ」

 ナナは吐き出すようにまくしたてると気がすんだのか、憑き物が落ちたような様子でペットボトルを三本ぼくらの足元に放り出した。

「冗談だよ。百円でいい。いつも通りね」

 ナナは水だけでなく、どこかでコピーした地図まで用意していた。おかげで最終のバスに何とかまにあった。バスの中で、ふいに祐樹が思い出したようにナナに声をかけた。

「ナナ、水と地図、ありがとうな。おかげで助かった」

 ナナはびっくりしたような顔で振り向き、照れたように笑った。ナナの笑顔を初めて見ること、そしてそれまでナナに一度も御礼を言ったことがないことにその時ぼくは気づいた。たった百円ですべてことをすませていたのだ。

 夏休みが終わって新学期が始まっても、ぼくらは相変わらずナナの上得意だった。変わったことと言えば、百円を渡すときに必ず「ありがとう」と添えるようになったことだ。その時だけ、ナナは決まって照れたような笑みを浮かべるのだった。
(了)


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