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脳内の自由

真実は闇に葬りさることはできない。そう信じて生きてきたが、それは真っ赤な嘘だ。
私は、日々まじめに職場に通っている。二十年間無遅刻無欠勤だ。来る日も来る日も同じ電車に乗って、決められた時間に決められた作業をし、食堂で日替わりランチを食べ、また決められた作業をして家に帰る。
 なんと退屈な人生かって? あなたはそう思うかもしれないが、私にとっては最高の人生である。なぜならば、一日の行動があらかじめ子細に決められているということは、何も考える必要がないということである。仕事に縛りつけられているように見えながら、私の脳内はまったくの自由なのだ。仕事はAという部品にBのネジを取りつけるだけの単調な作業だ。二十年間も繰り返していれば何一つ考えることもなく目をつぶっていてもできる。だから、私は、7時間の勤務時間中、きちんと仕事をこなしながら、脳内で好き放題なことを考えて遊戯にふけっているのである、楽しくてたまらない。
 まるで、遊んで給料をもらっているようなものだ。こんな幸せが他にあろうか?
 あなたたちの仕事は、確かに高度でクリエイティブなものであるかもしれない。ところがどうだ。仕事の段取りから企画、プレゼンテーション、作業工程管理、マーケティング、年がら年中思考して判断してトラブルが起これば解決に追われ、休む暇もないのだろう。ただの仕事の奴隷だ。かわいそうなものだ。
 私はこのまま定年まで幸せに勤め上げるはずだった。
 だが、そうはならなかった。
 それは突然やってきた。
 ある日の作業中、何の前触れもなく、私は、二十年以上Bのネジを取りつけつづけていた箇所にCのネジを取りつけたくてたまらない欲望に駆られたのである。
 そして、あろうことかそれを実行してしまったのである。
 その瞬間、私の脳内の自由は崩壊してしまった。
 なぜならば、私はCのネジの置いてある棚の場所を知らなかったので、目視で確認しなければわからなかったからだ。
 もちろん、脳内の自由の崩壊はショックだ。
 だがそれよりも衝撃的なことがあった。
 私がCのネジをとりつけた部品は、何の支障もなく検品を通過し、製品となって出荷されたのである。
 私は別にBでもCでもどっちでもいい箇所にBでなくてはならないと信じ、ひたすらBを取りつけ続けていたのである。
 私がCを取りつけたという事実は、誰一人として知らない。
 真実は闇に葬り去られたのだ。
 それ以来、私の頭から一時もそのことが離れることはなくなり、私の脳内の自由は永遠に奪われてしまった。

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