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ヒカルの雨ごい

「雨降れ、雨降れ」
 土手の木陰に一人でしゃがんで、ヒカルはぶつぶつとつぶやき続けていた。視線の先には、どんぶり山の青々とした山肌が夏の陽に照らされていた。町の子どもたちは全員あそこで遊んでいるはずだ。こども会のハイキングの日だった。どんぶり山の頂上は本当に楽しい。大きなすべり台を初めとする色々な遊び道具に広い原っぱ。子どもたちは皆どんぶり山のことを考えるだけで胸が躍った。むろんヒカルもそうだった。なのに、ヒカルはハイキングに行かずに一人ぽっちで空をにらみながら雨ごいをしている。

 ヒカルはいじめられっ子だった。学校に行けば、靴箱の中には毎朝ゴミが詰まって、給食のスープには虫の死骸が入っていた。いじめられるだけでなく、幼い頃からヒカルは万事において「ついていなかった」。自転車で駅前に行けば盗まれるし、誰も転ばないような泥道で一人だけ転ぶ。ヒカルは、自分はきっと神様に嫌われているのだと思っていた。「ほんとついてない子だね」。母や姉までもヒカルを見てため息をつくのだった。

 ヒカルはハイキングに行く勇気がなかった。こども会にはクラスメイトよりももっと怖い上級生がいる。きっと荷物を持たされたり山道で足をひっかけられたりしてろくなことがないに決まっている。ヒカルにできることは雨が降るのを祈るだけだった。どんぶり山の頂上には雨宿りの場所などない。どしゃぶりの雨にずぶ濡れになる子どもたちの姿を想像してヒカルはほくそ笑む。「神様、どうか雨を降らせて下さい」。嫌われているとわかっていながらヒカルには神様以外にすがるものがなかった。けれどもあいかわらず神様はヒカルを邪見に扱った。雨が降る気配すらなかった。 

 ヒカルがあきらめて、帰ろうと思った瞬間、頬に冷たいものが降りかかった。周囲の草がばらばらと音を立て始めた。雨だった。
「やったぜ」。いったん喜びかけたヒカルだったが、すぐに妙なことに気づいた。向こう岸の土手も、どんぶり山も相変わらず日の光に照らされていた。あわてて空を見上げると、雨雲があるのはヒカルの真上だけだった。つまり、雨が降っているのはヒカルの周りだけなのだ。ヒカルはがっかりしながら、国道沿いのバス停に駆けこんだ。ぼくってどこまでついてないんだろう。もう、神様にも完全に見放されてしまったのだ。
 

 ベンチに座って情けない気持ちで首筋をハンカチで拭いていると、誰かが隣に駆け込んできた。同じクラスの武山さんのお母さんだった。
「きみ、三丁目の神社の近くの子だよね」
 武山さんがヒカルに話しかけてきた。ヒカルはうなづいた。
「今日、子ども会のハイキングでしょ。どんぶり山行かなかったの」
「頭が痛くなって」
 ヒカルはとっさにごまかした。
「あらあ、ついてないね」
 武山さんは、ハンカチで髪を拭いながら笑った。ヒカルの心がずしんと重くなった。ついてない。そのことばはもう聞き飽きた。
「どんぶり山って、楽しいよね。いろんな遊び場所があって」
 武山さんは、自分が幼い頃どんぶり山で遊んだ思い出をあれこれ語り始めた。ヒカルはどんどん気持ちが暗くなってきて、じっと押し黙っていた。ヒカルの不機嫌な様子に気づいたのか、
「夕立だからすぐにやむよ」
 武山さんはぽつりと言ったきり何も話さなくなった。
 

 しばらくして、スイッチを切ったかのように雨はやみ、青空が広がった。ヒカルがハンカチをポケットにしまっていると、武山さんが、急に大声をあげた。何事かと視線の先を追ったヒカルは思わず息を飲んだ。
国道をはさんだ林の木々がきらきらと輝く光の粒に覆われていた。雨の水分が小さな粒になって日の光に照らされているのだ。武山さんがうわずった声をあげた。

「うそ、信じられない。『雨の結晶』だ」
『雨の結晶』はヒカルも聞いたことがあったが、実際目にするのは初めてだった。まわりにも見たことがある人は一人もいなかったので、ただの伝説だと思っていた。
「きみ、すごいラッキーだよ。あたしだってこの年で初めて見たんだよ。どんぶり山に行けなかった分取り返しておつりがくるじゃない。よかったね」
ラッキーだと言われたのは生まれて初めてで、少しうれしかった。ヒカルはどこかにいる神様に心の中でそっとありがとうと言った。(了)

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